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デビュー前の松田聖子 芸能事務所5社から断られていた過去 - ZAKZAK

 一方、ソニーの製作第6部に若松宗雄というプロデューサーがいた。6部は、基幹の2部に較べて傍流といわれていた。オーディションの予選会の録音テープに、久留米の女子高生・蒲池法子の声があった。


 「何度聞いてもいい。パーンと響くものがある。福岡に会いに行きました。お母さんと一緒に来た。あっこの子はいい。ストレートヘア、紺色のスカートを履いてね。本人は、やりたいが、親は反対している。粘り強く口説きながら、プロダクションを捜しました」


 だが、5社に断られた。最後にサンミュージックに話を持って行き、後日、本人を相澤社長に会わせた。相澤はいった。『ソニーとは、超有力新人の中山圭子をやるから無理だ』 同じレコード会社、同じプロダクションから同時期にふたりがデビューすることはありえない。それでも、やりとりを繰りかえし、蒲池はサンミュージックに引き受けられた。


 現サンミュージックグループ名誉顧問の福田時雄と、渥美清のマネージャーをやっていた森口健、さらに我妻の3人は、中山圭子を各テレビ局、雑誌のグラビアに売り込みながら、蒲池法子にもレッスンをつけた。蒲池に訊く。


 『きみは本当に歌手になりたいの?』


 『本当になりたいんです。どうしてもなりたいんです』


 そして蒲池は、中山圭子のCMが立ち消えてわずか2か月のち、後ろからすっと抜けだすようにデビューした。ただし歌手ではない。太川陽介の恋人役のドラマ出演。この役名が〈松田聖子〉だった。相澤には持論があった。芸能界は浮き沈みの水もの。沈まずに、浮きあがる名がいい。木偏がつく松は縁起が良い。


 聖子に強運が舞い降りた。中山のシャンプーは発売中止になったが、資生堂がティーン向けの初めての洗顔クリーム〈エクボ〉を出すことになった。CM用の歌をうたわないか。『エクボの季節』。福田、森口、吾妻の3人は、中山圭子を呼んだ。


 「CMで火がつくかもしれない聖子に宣伝費を賭ける。新人賞も聖子にとらせる。こんなことになって申しわけない」


 『エクボの季節』はのち『裸足の季節』と改題され、松田聖子のデビュー曲となった。売れた。