「保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?」(■山崎行太郎インタビュー。「月刊日本」8月号、発売中) - 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
日本国民は民主党政権末期に、頭でっかちの秀才政治家の持つ権力欲や後ろ暗さ、人間性の悪さといったものを嫌というほど味わった。彼らのような秀才は、一度権力を握るとそれに固執し、権力を維持するために、何をしでかすかわからない。
安倍総理は育ちの良さから来る素直な性格で、自分のブレーンたちの話をよく聞いているのだろう。しかし、それは同時に安倍総理の危うさでもある。人の話をよく聞くということは、自分の頭で物を考えていないということでもあるからだ。
もっとも、これは安倍総理やそのブレーンに限った問題ではない。保守論壇全体の問題だ。現在の保守論壇自体がネット右翼レベルにまで落ちてしまっていることが問題なのだ。
たとえば、保守派は櫻井よしこを始めとして「国家観」や「歴史観」「伝統」といった言葉を好んで使うが、彼らは、保守とは「国家観」や「歴史観」「伝統」を語る人間のことであり、あるいは「南京虐殺はなかった」とか「従軍慰安婦は存在しなかった」と主張する人間のことだと考えているようだ。
しかし、これは逆に言えば、そうした条件を満たせば誰でも保守になれるということでもある。中国を批判し、靖国神社に参拝し、愛国心の重要性を訴えれば、あなたも明日から保守になれます、というのであれば、保守も実にお手軽になったものだと言わざるを得ない。
―― 保守論壇の「左翼化」は、具体的にどのような問題に表れているか。
山崎 その一つとして歴史認識問題が挙げられる。たとえば渡部昇一や中西輝政らは、「シナ事変は今では明らかになったようにコミンテルンの手先が始めたものである」、「アメリカ・イギリスとの開戦は、マッカーサー証言の如くその包囲網により、日本の全産業・全陸海軍が麻痺寸前まで追いつめられたから余儀なくされたのである」と論じている。要するに、悪いのはアメリカやコミンテルンであって日本ではない、というわけだ。
こうした議論からは、日本の主体性というものが完全に欠落している。
本当に強い人というものは、言い訳をしたり、自己を正当化したりしない。
我々の生きる世界は複雑怪奇で、賛成か反対か、従属か自立か、反米か親米か、などと単純に分類できるようなものではない。しかし、現在の論壇はこのような軽薄な議論で溢れかえっている。
なぜ保守論壇 はかくも幼稚になったのか。それは彼らが、ニーチェが言う「深淵」や「虚無」にぶつかり、挫折し、それを乗り越えようした経験がないからだろう。