拙宅(小石川林町)の近くにお住まいで、父・良一と仲が良く、おいでになったり参上したことも度々で、飄々とした人柄とお見受けしたが、私は当時高校生だったため直接ご指導を受けたことはなかった。
当時は先生を師と仰いで門下生になることが一種のステータスであり、政治家も財界人も垂涎(すいぜん)の的で、勉強会に参加していることを自慢話として私に語った人も多くいた。
しかし「細木数子」事件で、門下生のレベルは私の知るところとなった。要するに、高名な先生のクローズドの勉強会に入ったステータスに満足しただけで、先生の教えを実践しようとは考えてもいなかったのである。
経緯はこうである。
1983年、先生は当時銀座のバーのマダムであった細木数子女史(その後テレビで占い師として有名になる)と結婚した。当時先生は85歳で真偽のほどは定かではないが、認知症の症状があったといわれ、細木女史が無理やり結婚誓約書に署名させたと噂になり、高弟を自称する財界人は、先生の晩年を傷つけまいと鳩首協議を重ね、極秘のうちに連れ出し、実兄のいる高野山にひそかに隠したのである。
しかし、細木数子女史は高弟を自称する財界人よりもはるかに度量が大きく肝(きも)がすわっていた。女史は先生が行方不明になると警察に捜索願を提出した。作戦を実行した財界人は、下手をすると刑事罪に問われかねない事態に狼狽し、簡単に居所を明らかにして一件落着となった。