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山本太郎の天皇直訴問題 - 五つの視点から考察する : 世に倦む日日

「同庁幹部は『陛下の意見を求めたりしているわけではないので<政治利用>とまでは言えないかもしれないが、皇室の行事を利用して自らの主張を広めようとする非常識な行為だ』と話す」

この宮内庁の幹部の発言には注目する必要がある。誰がこの言葉を発し、マスコミに書かせたかという点だ。答えは、天皇陛下である。両陛下の配慮の反映だ。こうして、山本太郎へのバッシングが高揚したとき、両陛下が山本太郎を守るべく、敢えてこの「『政治利用』とまでは言えないかもしれないが、」の一言を挿入させ、攻撃世論の沈静化を図ったのだろう。まさに「大御心」の発動である。山本太郎の窮地を救うべく「大御心」の所在を暗示した政治だと観察できる。

しかし、だからと言って、山本太郎の行為が「天皇の政治利用」に該当しないかと言えば、決してそのようなことはなく、宮内庁幹部がマスコミに漏らした見解は免罪符にはならない。今回の行為が「天皇の政治利用」にはならないという解釈で決着したなら、国会議員は誰でも自由に天皇に請願の文書を手渡して構わないということになる。

園遊会は皇室が主催して天皇が来客を歓待する場であり、そこで国会議員が政治目的の行動に及べば、それは当然ながら「天皇の政治利用」になる。そこから、天皇が内々に動いて内閣に水面下の働きかけがあるにせよ、マスコミと野党が原発労働者問題にフォーカスして事態が動くにせよ、それは山本太郎が期待した政治的果実が達成され、意図と目的が実現されるという図であり、すなわち、天皇山本太郎に政治的に利用されたことになる。憲法はこのことを禁じている。

山本太郎を擁護する一部の弁護士などが、法律論を細工して「違法行為ではない」と言い張っているけれど、理屈を捏ねて無理にクロをシロにしているだけで、法の不備を衝いて解釈と詭弁で窮屈に法的正当性の余地を見出しているだけだ。

また、擁護論の中には、そこに政治目的があるにせよないにせよ、天皇に国民が手紙を渡す直訴の何が悪いという主張もある。どんどんやれという意見であり、タブー破りを歓迎する一部の海外の視線とも思想的に重なる立場だ。この主張は、煎じ詰めれば天皇制解体論に行き着く見方であり、象徴天皇制を認め置く現行憲法を否定する立場に繋がるものだ。

山本太郎園遊会であの行動に出れば、そこから政局を揺るがす騒動が広がり、両陛下が収拾を案じて心を砕くことは目に見えている。詰まった行事日程の中で、情報を集め、侍従の意見を聞き、どうすべきか悩むだろう。煩わされる。体調に支障を及ぼすかもしれない。そのことを憂慮する。

国民は、この件で天皇陛下がどう対処するか、周囲にどう指示を出すか、注目してじっと見守っている。言葉が欲しいと思い、福島の子どもたちや原発労働者の健康問題に改善の徴候が出ることを期待している。両陛下は、「天皇の政治利用」の禁止と、(福島原発問題での)国民の熱い期待と視線の中で緊張し、神経を磨り減らすことだろう。来月下旬には天皇誕生日があり、そこで言葉を発さなくてはいけない。

山本太郎とその同調者は、天皇は国民の象徴なのだから、国民が困っていることは知らなくてはいけない公的立場であって、福島の原発労働者や20msv環境下の子どもたちの健康被害について、真面目に向き合うのは当然だという言い方をしている。一つの正論に違いない。だが、そこには「天皇の政治利用」禁止という憲法の原則があり、そして両陛下自身の健康と体調の問題がある。機械的には正論はワークしない。

そこから、山本太郎が本気であの直訴に及んだのかという疑念が私には生じる。

山本太郎は、本気で結果を出そうと思ったのか。結果を出せると踏んだのか。政治を動かせると計算したのか。宮内庁と政権としては、「天皇の政治利用」の前例を作ってはならないというのが立場だから、山本太郎の行動の結果、何か改善の動きが発生したという既成事実ができないよう、逆に福島の現状を凍結し固定させる(=事態を改善させない)方向に動く可能性が高い。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131103#1383475211(仏門)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131103#1383475209(狂人)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20081015#1224029017(誠意一徹、死をもって所信を貫く)