東洋古典の名著『中庸』にある言葉である。
原文は「君子而時中」。
安岡正篤師によれば、
「而」は「して」と普通は読むが、
明代の大学者 兪曲園(ゆきょくえん)は
これを「能(よく)」と読むべきと注釈している、という。
さらに、「中」には相対立しているものを
統一(相結ぶ)して一段高いところへ進めるという
意味と同時に「あたる」という意味がある、
と説明している(『洗心講座』)。
立派なリーダーはその時その場に
ふさわしい手を打ち、あらゆる矛盾、相剋を
克服してどこまでも進歩向上していく。
これが「君子、時中す」の意味である。
その意味で忘れられない人がいる。
明治天皇である。
明治天皇は明治19年10月29日、
東京帝国大学に行幸、授業をつぶさに見学された。
皇居に戻られたのち、
侍講・元田永孚(もとだながざね)を召されて
次のように仰(おお)せられたという。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131206#1386326451
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131206#1386326452
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120412#1334225952