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日刊ゲンダイ|紅白引退の“御大”に意外な過去…北島三郎は漫才師だった!

 酒を飲まないとは意外だが、北島はもともと奈良漬を食べただけで酔っぱらうという酒に弱い体質。逆に、大の甘党で、コーヒーには砂糖を大量に入れて飲み、舞台の本番前には、必ず炭酸を抜いた三ツ矢サイダーを飲む。高校時代は、母親が白飯に黒砂糖をかけただけの弁当を喜んで食べていた。

 女性問題や借金問題がなかったことも、長く歌い続けられた秘訣か。夫人とは歌手デビュー前の23歳のときに結婚。夫人は、北海道・知内村(現・知内町)から上京した北島が、新宿にあった東京声専音楽学校と、流しをしていた渋谷に通うのに便利なように、と借りた西大久保のアパートの大家の娘だった。夫人は貧しい北島にカレーライスを差し入れ、ミカン箱の上で歌う北島に「いよっ!」と声をかけて励ました糟糠(そうこう)の妻だ。

船村は北島が歌手デビュー前、歌謡漫才コンビ「ゲルピン・ちん太・ぽん太」を組ませ、“ぽん太”として舞台の前座を務めさせたこともあった。

 流しも恥ずかしくてたまらなかったという北島、漫才をするのはさぞつらかっただろうが、北島は今も「船村徹同門会」の名誉相談役を務めている。