パックス・ジャポニカへの道 「綜合文化人」宣言(その3) - 原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ
ところがこのように考えれば考えるほど、はたと悩んでしまわざるを得ないのである。なぜならば、このように最初に「言葉の狼煙(のろし)」を上げ、一つの運動体が出来上がるように仕向けるのが「言論人」であり「文化人」の役割なのであるが、現代の我が国にはこの役割を果たしている者が皆無だからである。
これに対して1980年代後半から突如として浮上し始めたのが「マスコミ文化人」たちである。田原総一朗や櫻井よしこ、宮崎哲弥、そして新しい例としては佐藤優や池上彰がその典型である。
我が国においてこれまで見られたこれら二つのタイプの言論人・文化人は、2014年を迎えた今、もはや存在意義を全く失ったというべきである。
つまり「戦後知識人」や「マスコミ文化人」たちが大前提としていた枠組みそのものが消えてなくなってしまう危険性があるということなのだ。その時、彼ら・彼女らは必死になって”論じる”のは間違いない。だが、その議論はどうにもこうにも納得がいかないものになるのだ。なぜならば事そこに及んだ時、私たち日本人が求めるのが「新しい枠組みの創造」であるのに対し、「戦後知識人」(の生き残り)や「マスコミ文化人」たちは相も変わらず「誰がこんな日本にしたのか?安倍晋三総理大臣か?財務省か?民主党か?あるいは米国か?」といった調子でこれまでと同じく「枠組みは誰かに創ってもらいながら、それを与えてくれた絶対的な存在に対して乱暴な言葉でたてつくふりをする」ことに終始するからである。