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【アメリカを読む】去りゆくバーナンキ氏の「功罪」 - MSN産経ニュース

 「激しい日々だった。これ以上ないリスクを抱えていた。ただ職務に集中するのが私という人間の特質だ。どう対処すべきか神経を研ぎ澄ませていた」


 言葉とは裏腹に、どこか和らいだ横顔が印象的だった。米有力シンクタンクブルッキングス研究所で16日、対談に臨んだベン・バーナンキ米連邦準備制度理事会FRB)議長(60)。FRB議長としては最後となった公式の場で、その全身からは大仕事をやり終えた充足感がにじみ出ていた。

 バーナンキ議長は今月限りで2期8年の任期を満了し、退任する。異例の量的金融緩和策を主導し、空前の金融危機を乗り切って米景気を回復軌道に戻した手腕に改めて高い評価が寄せられている。一方で、金融政策の正常化という「出口戦略」は緒に就いたばかりで、多くの課題が積み残された。

 バーナンキ議長が就任したのは2006年2月。当時は住宅バブルで米国全体がわき、議長も穏やかなスタートを切ったかと思われたが、まもなくバブルが崩壊し冷や水を浴びる。英紙フィナンシャル・タイムズのコラムニスト、マーティン・ウルフ氏は22日付紙面で「議長もサブプライムローン低所得者向け高金利型住宅ローン)問題の影響を限定的なものと読み誤っていた」と厳しい見方を示した。


 ただ金融機関の経営不安が拡大し、いよいよ経済危機が現実となってからのFRBの動きは素早かった。米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に緊急融資を実施。市場の動揺は世界に飛び火したが、日欧などの中央銀行と連携して市場に緊急資金供給を行うなど火消しに努めた。

 ゼロ金利にも追い詰められ、繰り出した「奇手」が量的金融緩和。米国債などの資産をFRB自ら大量購入することで市場にマネーを流し込んだ。議長は「量的緩和は支持され、効果的だったと多くの研究も認めている」と胸を張った。ウルフ氏も「困難に満ちた状況で危機に対処した。大きな称賛に値する」とその功績を高く評価する。


 実際、その後の経済の回復ぶりだけを見ればうなずけなくもない。金融危機直後に暴落したダウ平均は徐々に切り返し、昨年には最高値を更新した。10%に跳ね上がった失業率は7%を割り込み、雇用とともに米経済の体温計である住宅市場も底を打った。FRB量的緩和の手綱を緩めたのは、「自律的回復が軌道に乗りつつある」(エコノミスト)裏返しであり、バラク・オバマ大統領(52)も「バーナンキ議長の強い指導力のおかげだ」とたたえる。一方で議長は、FRBの情報開示の改革にも取り組んだ。フォワドガイダンス(将来の政策指針)や日銀を見習っての議長記者会見の導入、果てはソーシャルメディアに着目しツイッターまで始めた。これらは「透明性が高まった」と歓迎もされたが、波紋も呼んだ。量的緩和縮小に関する議長をはじめとしたFRB幹部の発言をめぐり、市場は昨年大きく動揺した。

また、長期に及んだ量的緩和の「副作用」も気がかりだ。FRBの資産は約4兆ドルと金融危機前の4倍にまで膨張し、インフレ懸念が頭をもたげている。「禁じ手」とされた長期国債の大量引き受けにも手を染めたことで、「財政赤字の拡大を招いた」(アラン・メルツァー米カーネギーメロン大教授)との批判もある。


 金融システムについても、議長は「危機以前と比べ強固になった」と強調するが、ウルフ氏は「確かに規制は改善されたが、本質的には金融システムは以前と変わらない。十分な対策が講じられたかという点ではまだ憂慮している」と不安を隠さない。メルツァー教授も「『大きすぎて潰せない』といった大銀行への配慮が感じられ、十分ではない」と辛口だ。

 後事は副議長としてバーナンキ氏を支え続けたジャネット・イエレン次期議長(67)に託されるが、その視界は不明瞭だ。雇用の回復は緩慢で就業者数の伸びも力強さを欠く。議会の財政協議も決着は遠く、イエレン氏が就任する来月早々にデフォルト(債務不履行)危機が再燃しそうな気配だ。

 金融政策の転換期にあたり、先月に創設100年を迎え新たな世紀に突入したFRBはどこへ向かうのか。バーナンキ氏は多くの「宿題」も残した格好だ。