2つのひまわり、台湾とウクライナ――遅れてやってきた国民国家の明と暗
ロシア・ウクライナ間の国境は、ソ連邦内の行政区分の境界に過ぎず、国民国家としてのロシア、国民国家としてのウクライナの「国境」を定めたものである、とは言いがたいところがある。
クリミア半島は、フルシチョフがソ連共産党第一書記の時代に、党内部での自身の権力の基盤固めのために、ウクライナに「編入」してしまった、という経緯がある。もちろん、将来、ソ連邦が崩壊し、ロシアとウクライナがそれぞれ独立の国家になるなどと夢にも思わなかった時代の話だ。
仮にウクライナが「独立」後も、事実上ロシアの「保護国」ないしサテライト(衛星国)として存続し続けるのであれば、この「国境」にまつわる潜在的な不満は火を吹くことはなかっただろう。
しかし、ウクライナが国民国家としての自覚を強め、ロシアから距離を取り、西欧に傾斜してゆくとき、「国境」をめぐる問題は看過できなくなってゆく。
ウクライナは、どこまでが近代的なネーション・ステート=国民国家としてのウクライナたりうるのか。
ユーロマイダンが生んだ暫定政権は、ウクライナ語を公用語とし、ロシア語を公用語から外す決断を下したが、ウクライナという民族、ウクライナ語という言語に高い優先順位を与える「純化」政策に、誤りはなかっただろうか。ロシア語話者を排除する改革は、結果としてウクライナの融和や統一を遠ざけ、分裂に導く罠に自ら陥ってしまったのではないだろうか。
ロシア語話者を排除する政策は、結果としてウクライナの融和や統一を遠ざけ、分裂に導く罠に自ら陥ってしまったのではないだろうか。