https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

もしノルマンディー上陸作戦が1年早く敢行されていたら|野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断|ダイヤモンド・オンライン

 その場合のifは、過去の事実から未来創造のための教訓を示唆するものとなる。歴史は単なる過去の事実の羅列ではなく、歴史家の独自の視点で選び出した歴史の事実同士の関係性に、歴史家が意味を見出す物語りなのである。歴史家と言っているが、それは読者自身のことでもある。


 そしてここが重要なのだが、歴史から教訓を得るには、史実の背後にある関係性を洞察する力が不可欠である。

 第1は、ノルマンディー上陸作戦が前年の1943年に行われていたら、というifである。


 この「if」は、戦史研究家ハロルド・C・ドイッチェらが詳細に論じている。

 第2は、ヒトラーに関するifである。


 この「if」は、軍事と歴史に詳しいアメリカのジャーナリスト、ベヴィン・アレクサンダーが論じている。もしも、1941年当時、ヒトラーソ連への正面攻撃ではなく、北アフリカへの侵攻を行っていたら、ヒトラーが勝利していたのではないかというのだ。

 最後のifは、日本に関するものである。


 この「if」は、アメリカ陸軍のアルバート・C・ウェデマイヤーが論じているもので、日本は1941年に「太平洋でアメリカと事を構える」べきではなかったという指摘である。


 ではどうすべきだったのか。彼は、アメリカではなく、ソ連を攻撃すべきだったと主張する。例として、東部シベリアの要衝の地であるラジオストックをあげている。


 日本が極東を攻めれば、ソ連は、西からはドイツ、東からは日本という二正面作戦を余儀なくされることになる。すでにソ連の侵攻を始めていた日本の同盟国ドイツは容易にモスクワを陥落し、スターリングラードも陥落できていただろう。日本がアメリカを攻撃しなければ、アメリカの参戦は遅れたかもしれず、イギリスは一国でドイツとイタリアを相手にすることになり、手詰まり状態に持ち込むことができたかもしれない。

「歴史」が各国で異なり、国家間の摩擦の一因となることをわれわれは知っている。実は、歴史は書き手によってその内容が変わる主観的な物語り(narrative)なのだ。過去のどの事実を取り上げ、どう関係づけて物語りにするのか。歴史の物語りは、歴史家の過去と未来への視点、つまり、歴史家の主観や価値観による解釈によって決まるのである。


 20世紀を代表する歴史家E・H・カーは、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去の間の尽きることを知らない対話である」(『歴史とは何か』)と喝破した。現在には過去が流れ込み、未来がそこから形づくられていく。現在は重要な転換点なのである。そこには人間の未来に向けた過去の意味づけと、人間自身の行為が必要だ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140606#1402051916
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131116#1384599061