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あのドラッカーも認めた明治の大実業家・渋沢栄一の自伝 『現代語訳 経営論語 渋沢流・仕事と生き方』|いまこそ読みたい! ダイヤモンド社100年100冊|ダイヤモンド・オンライン

 6月15日から25日までの日程で、カタールの首都ドーハで開催されている第38回ユネスコ世界遺産委員会は、20〜21日にかけて行われる予定の審議において、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録を正式決定する見通しです。


群馬県富岡市にある富岡製糸場は、埼玉県深谷市出身の実業家で“日本の近代資本主義の父”といわれた渋沢栄一が、器械製糸の導入と技術者の養成を意図して企画したものでした。渋沢は30歳の若さで製糸場設置主任に就任し、同郷のいとこで初代製糸場長を務めた尾高惇忠とともに、創業時の中心的役割を担いました。1872(明治5)年に稼働したこの製糸場は日本の殖産興業に大きな影響を与え、その後1893(明治26)年には三井家に払い下げられて民間活力の促進が図られたことはご承知のとおりです。

 江戸時代後期、幕末に近い1840(天保11)年に生まれた渋沢は、明治、大正、昭和の時代にかけて、日本の近代産業の発展に多大な貢献を果たしました。第一国立銀行東京証券取引所をはじめ、東京瓦斯東京海上火災保険王子製紙、帝国ホテル、キリンビールサッポロビール東洋紡績などなど、あらゆる産業における多種多様な企業や団体の設立・経営にかかわりました。STAP細胞問題で世間の耳目を集めた、あの理化学研究所を創設したのも渋沢でした。その数は500以上に上ったといわれています。もっとも、事業に成功しても私利私欲を追わず、ひたすら公益を追求し、資本家による富の独占を許さず、自らも資本家の代表になるようなことはありませんでした。


 その渋沢の事業家としての生き方を支えたのが論語でした。70歳を過ぎてから『論語と算盤』を著し、「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示しました。いわゆる「道徳経済合一説」という理念は、モラルとビジネスの両立を掲げ、「国全体を豊かにするためには富は全体で共有するものとして社会に還元すべし」と説いたのです。

 P・F・ドラッカーは『マネジメント』の序文で渋沢を名指しし、「私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は“責任”にほかならないということを見抜いていた」と高く評価しました。

現代語訳 経営論語―渋沢流・仕事と生き方

現代語訳 経営論語―渋沢流・仕事と生き方

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