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3分でわかるクラウゼヴィッツの『戦争論』「相手の強みを真似て無力化する」 今さら知らないとは言えない「逆転優位戦略」|戦略の教室|ダイヤモンド・オンライン

クラウゼヴィッツは「王族による戦争は、傭兵を使う半ば八百長試合だったが、ナポレオンはフランスのために命をかける兵士を育て、敵を殲滅するまで戦う戦争に変えた」と語りましたが、この洞察は彼の軍事学の師であるシャルンホルストが1790年代の論文で先に指摘したことでもありました。


 国民徴兵制度による膨大な兵数と、フランスの自由を守るため、自ら勇敢に戦うフランス国民軍、大部隊を効果的に戦闘に参加させる軍団制度とナポレオンの軍事的天才。欧州大陸最強のフランス軍に勝つためには、相手の強みを無力化する、あるいは凌駕しなければなりません。


 しかしプロイセン王国は、フランスを除く他の国と同様に傭兵が主力であり、身分制度の壁で平民は将校になれず、肩書で出世が決まり、国王の軍隊ゆえに、フランスのように市民革命を起こすこともできません(シャルンホルストは平民出身だが、プロイセン軍は彼に貴族の称号を与えていた)。そのため、次のような対策が実行されました。


プロイセンの対フランス作戦】
(1)義務兵役制の採用(国民軍創設のため)
(2)師団制を取り入れた
(3)優れた参謀将校を育成する教育機関の充実
(4)門戸を広げ、平民からも優れた人物を将校に登用
(5)政治行政改革・教育改革
(6)社会制度改革(農奴解放)
(7)祖国愛の醸成(ナショナリズムの鼓舞)


プロイセン軍の改革は、フランス軍の強みと極めて似ています。彼らはナポレオンの強さの秘密を正確に分析して、組織として徹底導入したのです。ちなみに、(5)(6)(7)は軍制ではなく社会制度の改革です。フランス兵と同じように、プロイセン人の被占領状態を打ち破るべく、祖国愛を醸成するためだったのでしょう。

 士官教育制度を充実させ、平民からも優れた人材を広く集めて登用し、軍中央の作戦指揮と、現地師団の連携が迅速になりました。フランス軍の強さがナポレオンの軍事的天才にあったならば、プロイセンは同じことを、軍全体で実行できる組織に仕上げたのです。彼らは、ナポレオンの優れた機動力を封じるため、次の二つの戦略を徹底します。


(1)各個撃破させない大群による包囲布陣


 戦場で的確な判断を下すナポレオンは、各国の軍隊が主戦場で合流する前に素早く行軍し、各個撃破によって多くの敵を、より少ない自軍で打ち破っています。1813年の会戦では、プロイセン軍は各個撃破されないように、北・東・南の三方面から同盟国と侵攻し、じりじりと包囲を狭めてナポレオン軍を閉じ込めました。フランス軍に一点集中の攻撃をさせず、大軍の優位性をそのまま活かす戦いを仕掛けたのです。


(2)側面攻撃を受けたら粘らず退却する


 ナポレオンの得意な戦術である「側面攻撃」は、複数師団の中で一部が敵を足止めし、すぐに他のフランス師団が敵の側面か背後に回ることで、相手を挟撃する効果を最大限発揮するものでした。正面攻撃には強い軍隊でも側面攻撃には極めて弱く、側面攻撃を受けた状態で粘ると、壊滅することも多かったのです。


プロイセンの研究後、ナポレオンに側面攻撃を受けた場合、粘らず退却し、殲滅されずに兵力の温存が可能になりました。最後の戦場であるワーテルローでは、ナポレオンは肉体的な衰えから作戦指揮の迅速さを欠き、各個撃破のチャンスを逃し、側面攻撃した敵に逃げられた上で、戦場の最終局面でプロイセン軍から逆に側面攻撃を受けて大敗しました。


フランス軍の組織的な強みと、ナポレオンの用兵エッセンスを分解し、敵の強みを取り上げながら、自軍が「より大きな規模で」実行できるようにしたのです。小さな会社は迅速に動き、専門性を高めることで一点突破を狙います。規模の大きい会社は、相手が専門分野で地位を固めないうちに、同じ専門性を持つ部門を発足させ、より大規模に展開して、後追いで勝つことを目指します。


 異なる戦略なら、「スピード」があるほうが有利であり、同じ戦略なら「規模」が大きいほうが有利となる。プロイセンフランス軍の速さを封じ込め、規模の戦いに持ち込んだのです。

「天才は、理論を超越するものではない。(中略)天才の行うところこそ、最も見事な法則でなくてはならないはずであり、理論の仕事は『それはどうなっているのか? それはどうしてそうなったの?』を明らかにすることにある」(大橋武夫著『クラウゼウィッツ兵法』より)

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