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美輪明宏 「愛の讃歌」を10数年ぶりにステージで歌唱 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能

 NHKの連続テレビ小説花子とアン」の「ごきげんよう」のナレーションが大評判。今回は、そのヒロインたちの時代、明治、大正、昭和初期がテーマ。「ゴンドラの唄」「おぼろ月夜」「惜別の歌」など激動の時代を彩った美しい名曲の数々を披露する。美輪は「あの時代は歴史的にも一番洗練されて美意識が研ぎ澄まされた時代。一人でも多くの人たちに聴いてもらいロマンの世界に触れてほしい」と話している。


 さらに、大きな目玉がもう一つ。美輪が46年前に訳詞した名曲「愛の讃歌」を10数年ぶりにステージで歌う。エディット・ピアフの詞を忠実に日本語にしたもので、ドラマでも流されると、瞬時にネット上で「究極の愛の歌」と話題になった。音楽会は23日まで

『花子とアン』蓮子のモデル 結婚生活は乱倫そのものだった│NEWSポストセブン

 蓮子のモデルは柳原伯爵家の令嬢で大正天皇の従妹にあたる歌人の白蓮(本名・菀子)。25歳年上の筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁いでいた白蓮は、大正10年に7歳年下の弁護士・宮崎龍介と駆け落ちする。不倫の果ての逃避行だった。

絶縁状と白蓮事件☆九州あちこち

「菀子の絶縁状(新聞掲載文)」(大阪朝日新聞大正10年(1921)10月22日夕刊掲載(夕刊発行日付は23日)
 白蓮が書いた原稿に宮崎龍介と友人たちが手を加えたものです。
 手を加えた理由は、原稿となる白蓮の手紙が新聞に載せるためにはやや冗長だったこと、読者に事情や経過がわかるように簡明に説明すること、人間としての基本的な権利を読者に理解してもらうこと、などと思われます。
(なお、絶縁状の内容を知るのが目的のため旧仮名づかいを新仮名づかいに変更しています。
 以下の2編も同様です。)


「菀子の絶縁状(白蓮の原稿文)」白蓮の自筆原稿文
 白蓮がノートに記して龍介に渡した原稿です。新聞読者に説明することなどは念頭になく、最後に伝右衛門に訴える内容であるため、白蓮の気持ちがよく表れているといわれています。

 私は今あなたの妻として最後の手紙を差しあげます。今私がこの手紙を差しあげるということはあなたにとって突然であるかもしれませんが、私としては当然の結果に外ならないのでございます。あなたと私との結婚当初から今日までを回顧して、私は今最善の理性と勇気との命ずるところに従ってこの道を執るに至ったのでございます。
 ご承知のとおり結婚当初からあなたと私との間には全く愛と理解とを欠いていました。この因習的な結婚に私が屈従したのは私の周囲の結婚に対する無理解と、そして私の弱小の結果でございました。

 私は折々わが身の不幸を儚んで死を考えた事もありました。しかし私はでき得る限り苦悩と憂愁とを抑えて今日まで参りました。その不遇なる運命を慰めるものはただ歌と詩とのみでありました。愛なき結婚が生んだ不遇とこの不遇から受けた痛手のために、私の生涯は所詮暗い暮らしのうちに終わるものとあきらめたこともありました。しかし幸いにして私にはひとりの愛する人が与えられ、そして私はその愛によって今復活しようとしておるのであります。このままにしておいてはあなたに対して罪ならぬ罪を犯すことになることを怖れます。最早今日は私の良心の命じるままに不自然なる既往の生活を根本的に改造すべき時機に臨みました。即ち、虚偽を去り真実につく時が参りました。よって、この手紙により私は金力を以って女性の人格的尊厳を無視するあなたに永久の決別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を守り、かつ、培(つちか)うためにあなたの許を離れます。

 私は今貴方の妻として最後の手紙を差し上げるのです。
 今、私がこの手紙をあげるという事は突然であるかもしれませんが、私としては寧ろ当然の結果に他ならないのです。あるいは驚かれるでしょうが、静かに、私のこれから申し上げる事を一通りお聞きくださいましたなら、つまりは、私が貴方からして導かれ遂に今日に至ったものだと言う事もよくお解りになるだろうと存じます。
 そもそも私と貴方との結婚当時からを顧み、なぜ私がこの道を取るより外に致し方がなかったかという事をよくお考えになっていただきたいと思います。
 ご存知の通り、私が貴方の所へ嫁したのは、私にとっては不幸な最初の縁から離れて、ようよう普通の女としての道をも学び、今度こそは平和な家庭に本当の愛を受けて生きたいと願っていました。然るにたまたま縁あって貴方の所へ嫁すことに定まりました時、貴方はあるいは金力を信頼して来たかとでも思いだったか知りませんが、私としては、年こそは余りに隔てあるものの、それもかえってこの身を大切にしてくださるに相違なく、学問のない方との事も聞いたれど、自分の愛と誠を以って及ばずながら、足りない所は補って貴方というのを少しでも大きくして上げたいと思っておりました。私自身としては貴方の愛と力とを信頼して生きていきたいと思っていました。言うまでもなく貴方はまず誰よりも強く自分を第一に愛していただけるものと信じていたればこそです。
 あなたはどのように待遇して下されたかという事を思い出す時、私はいつでも涙ぐむばかりです。誰一人知る人もない中に頼むはただ夫一人の情けでした。家庭というものに対しても、足らぬながらも主婦としての立場を思い、相当考えも持って来ました。然るにその期待は全く裏切られて、そこにはすでに、私の入るより以前から居る女サキがほとんど主婦としての実権を握り、あまつさえ貴方とは普通の主従の関係とはどうしても思えぬ点がありました。それは貴方が、私よりも彼女を愛しておられたからです。貴方が建設された富を背景としての社会奉仕の理想どころか、私はまずこの意外な家庭の空気に驚かされてしまいました。
 ことあるごとに常に貴方はサキの味方でした。
 私は主人の妻でありながら我が家で召し使う雇人一人をどうすることもできませんでした。
(中略)
 実は私という貴方の妻の価は一人の下女にすら及ばぬのでした。
(中略)
 お別れに望んで、一言申し上げます。とまれ十年の間、欠点の多いこの私を養ってくだされたご恩を謝します。
 この手紙は今更貴方を責めようとして長々しく書いたのではありませんが、長く胸に畳んでいたる事を一通り申し述べて貴方の最後のご理解を願うのです。
 終わりに望んで、私の亡き後のご家庭は、却って平和であろうと存じます。第一艶子殿のためにも幸であるべく、さすれば、貴方としてもご心配が少なくなり、何事も私の愛する者は憎く私の嫌いなものは可愛いというふしぎ、貴方のその一番私に辛かった御心持ちも、私さえ居なければ、すべての人々を明らかに善と悪とを見分けられる正しい御目を持つ事のお出来になるのが、家族の者のどんなにか幸福となることでしょう。
 女心というものは、真に愛しておやりなさりさえすれば、心からお慕い申すようになる事は必定。何卒これからはもう少し女というものを価つけてご覧なさるよう、息子のためにもまた貴方の御為にもお願い申しておきます。

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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140906#1409999991
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