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【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 無の境涯と生きる努力 - MSN産経ニュース

 「寄合(よりあい)」は文化芸術を生む。例えば鎌倉・南北朝の頃に連歌が生まれ、寄合がしきりに用いられる。茶が喫茶として広く民間に広まってくるその始まりとして寄合の茶が生まれる。寄り合う場は貴賤を問わず心あるものが集まる。全く一味同心、そして茶の場は正にその代表でもあった。


 茶を共にいただき味わい、主は客に心をこめて、もてなしをなす。『看聞御記(かんもんぎょき)』(後崇光院御記・室町時代の日記・1416〜48年)にもそれとなく記されている。「それとなく」ということは茶を飲むという生活上の風習となりつつあったからであろう。やがてこうしたことどもが思想につながってくる。


 「わび」「さび」が生まれるのも「もののあわれ」からで、「もの」に対するいたわり、すなわち自然観の表れであると、茶の湯者の珠光が弟子の古市播磨に与えた一紙がある。


 その『心の文』の中に、茶をする者の心掛けは、世のもののあわれを知り、我執を戒めることと記されている。もののあわれは自然体である。「わび」は「侘(わ)ぶる」から生まれたものといわれ、飾りのないそのままの姿形をいう。

「さび」は枯れ果てた中に芽生える自然の力を表し、何もかもそのもの一つにすがり生きようとする意でもある。どん底、すなわち何もないところから生きようとするところに「わび」「さび」の哲学が生まれる。