https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

スランプになったら安心していい!?【伊藤真×白川敬裕】(第2回)|本物の勉強法|ダイヤモンド・オンライン

伊藤:「スランプおめでとう!」って、言ってます(笑)。だって、「スランプは頑張った証」ですよね。
 スランプを「定義」してみると、「『自分の努力に見合うだけの成果が上がっていない』と自分が感じている状態」のことです。ということは、「努力をしていない人」にスランプはこないんです。
 だからスランプを怖がってはいけないし、むしろ、頑張っている証拠なのだから、安心していいわけです。

伊藤:私の『夢をかなえる勉強法』の本の中で、「限界だと思ったところから本当の挑戦が始まる」という、故アイルトン・セナレーシングドライバー)の言葉を引用しています。
「限界だ」と思ったら、さらに、もう一歩踏み込んでみる。その勇気があれば、必ずブレイクスルーが起きるんです。

伊藤:どの世界でも、どの分野でも同じだと思いますが、スランプがあって、でもそこであきらめないで、努力を精一杯し続ける…。すると、ポーンと突き抜ける瞬間がくるんですよね。
 一度でも「突き抜けた体験」のある人は、一時的な失敗が永続化しないと知っていて、そこから努力できるので、スランプが怖くなくなる。

伊藤:一度でもいいから、「失敗をプラスに感じられる経験」をした人は、精神的にも強いと思います。私も白川先生と同じで、東大在学時に、司法試験に落ちるまでは、大きな挫折を経験したことがなかったんです。実は、そのことが「いちばんのコンプレックス」だった。
「東大生なんてしょせんは勉強しかできなくて、ヒョロヒョロともやしみたいに育てられて、すぐにポキンと折れるもろい奴らだ」と思われているんじゃないか、って(笑)。
 でもそれを、自分の経験では、否定できなかったんです。どん底から這い上がった経験もしていないし、「たしかにオレって、頭でっかちな人間かもな」と自覚していましたから…。

白川:私が司法試験の「論文試験」を受けた日、伊藤先生は、試験会場の入り口で、受験生ひとりひとりに手紙を渡していましたよね。その手紙の内容に、私は本当に救われたんです。たしか、「司法試験に受かる人はごくわずかです。落ちる人のほうが圧倒的に多い。でも落ちた人たちもほとんどが幸せな生活を送っている。ということは、受かって幸せになる人よりも、落ちて幸せになっている人のほうが、数としては圧倒的に多いんです」といった内容だったと思います。
 このメッセージを読んだとき、すごく気分がラクになった。私はそのときまで、「不合格は失敗である」と決めつけていたんです。けれど、「たとえ試験に落ちても、今日までの努力は必ず、後の人生のプラスになるはずだ」と思うことができた。伊藤先生のおかげで、穏やかな気持ちで試験に臨むことができたんです。


伊藤:「合格も不合格も、人生の上で等価値である」と私は、常々、考えています。「司法試験に受かった、落ちた」はどちらも同じです。「そこから何を学び取るか」「どういう意味づけを与えて、自分がどういうふうに成長するか」が重要なのであって、「合格、不合格」に優劣はつかないんです。
 数だけで考えれば「不合格だったけど幸せです」という人のほうが圧倒的に多いはずですよね。


白川:「弁護士をしている人が幸せ」なのかといえば、必ずしもそうじゃないですから(笑)。


伊藤:そのとおり(笑)。世間的には「弁護士になったらお金にも困らないだろうし、社会的な地位もあるし、幸せでしょ〜」と思われているフシがありますけど、現場にいたら、そんな単純な話ではありません。
 幸せは相対的なモノサシで測るものではなくて、「自分の価値観でつくり出す」ものです。司法試験の合否によって「幸せの量」が決まるものではない。私は伊藤塾で、「不合格者が満足する講義をする」ことを、いつも心がけています。
 合格した人が「先生のおかげで合格できました。ありがとうございます!」というのは当たり前です。それだけではなく、不合格になって方向転換した人から「司法試験には落ちましたが、この塾で学んだことが、社会に出てからも本当に役に立っています!」と言われるような講義にする。
 試験に合格すること以上に、「自分の人生に役立つこと」を伝えていくのが私の使命だと思っています。