哲学をするには人生はあまりに短すぎたんぢゃ・・・。(:3 _ )= バタリ
「達成感」というのは、授業を成功させる大事な要素。しかし授業で何らかの達成感を得るのは難しい。哲学だと達成感の第一は「理解する」ことだが、これは難しい。問題を掘れば分からないことがどんどん出てくるし、禅問答のように膠着するときもある。「読み切る」とか何でもいいから進捗感が欲しい。
半期制に基づき、授業を継続してとってくれず、単発的授業しかできず、必修が卒論研究しかない現行カリキュラムでは、(教員としての自分の能力では)専門分野をまともに教えることはできそうもない。
通俗的な、良く言えばポピュラーでとっつきやすい身近なところから哲学する能力がやはり必要なのかな。
しかし、基礎なしに応用的な部分ばかり扱うようになってしまうのは、避けたい。応用なき哲学も不毛だが、基礎なき哲学はとりとめがない。
私ももう少し頭が良ければ、社会と(できるだけ)関わらず、かつ、(なるべく)誰にも迷惑をかけず、できるだけ幸福に生きる方法をもっと真剣に模索し、実践していたのかもしれない。
しかし、柔軟性を欠くということは、頭が悪いことなのだ。
しかし、何か一つ、信念を持ちたい人生だった。(:3 _ )=
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141018#1413628617
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130316#1363441917