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百学連環 - Wikipedia

西周がEncyclopediaを翻訳した言葉、或いはそれについて明治3年に私塾育英舎にて講義したもの。
意味は「児童を学問の輪の中に入れて教育する」で、その講義した内容は、政治学や数学など、様々な学問分野の概要を連続して講義したもので、一般教養に相当するものである。

西周 (啓蒙家) - Wikipedia

漢学の素養を身につける他、天保12年(1841年)に藩校・養老館で蘭学を学んだ。安政4年(1857年)には蕃書調所の教授並手伝となり津田真道と知り合い、哲学ほか西欧の学問を研究。文久2年(1862年)には幕命で津田真道榎本武揚らとともにオランダに留学し、フィセリングに法学を、またカント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。

『万国公法』を訳刊。

明治6年1873年)には森有礼福澤諭吉加藤弘之中村正直西村茂樹津田真道らと共に明六社を結成し、翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。啓蒙家として、西洋哲学の翻訳・紹介等、哲学の基礎を築くことに尽力した。

西洋の心理学と、東洋の儒教・仏教の思想を統一した新しい心理学の体系を書き続けた。

明治30年(1897年)、明治天皇は西の功績に対し勲一等瑞宝章、男爵の位を授けた。

西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語和製漢語)として「希哲学」という言葉を創ったほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」など多くの哲学・科学関係の言葉は西の考案した訳語である

獨逸学協会学校開校式の演説において「そもそも、学をなす道はまず志を立つるにあり」「志を立てて学問に従事すれば、これに次ぐものは勉強にあり」と述べている。

「百学連環」の歴史的位置と意義  渡 部 望