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【原田武夫の読書散歩】(第31回)「顕在した神の秩序としての企業組織」(その4) - 原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ

つまり現代において「プロレタリアート」はもはや過去の存在になりつつあるのだ。プロレタリアート、すなわち生産手段を自らは所有していないために「資本家」に隷属しなければならないような労働者階級はますます減ってきている。その代わりに現れたのが己の頭脳の中に「知識」という至高の資本財を詰め込み、もはや誰にもコントロールされることのなくなった知識労働者たちである。彼らをまとめることはもはや事実上不可能であり、しかしだからこそ「マネジメント」という業が必要になってくる。

「私は、ちょうど当時ヨーロッパで力を持つようになった二つの社会的機関、すなわち南ヨーロッパを中心とするカトリック社会におけるイエズス会と、北ヨーロッパを中心とするプロテスタント社会におけるカルヴァン派の二つの組織が、奇しくもまったく同じ方法によって成長したことを知った。この二つの組織は別々に、ただし1534年と1541年という同時期に創設されていた。しかも創設時から、まったく同じ学習方法を採用していた。


 イエズス会の修道士やカルヴァン派の牧師は、何か重要な決定をする際には、期待する結果を書きとめさせられた。一定期間の後、たとえば9か月後、実際の結果を期待に比較させられた。そのおかげで、『自分は何がよくできたか、何が強みか』を知ることができた。また『何を学ばなければならないか、どのような癖を直さなければならないか』、そして『どのような能力が欠けているか、何がよくできないか』を知ることができた。
 私自身、この方法を50年以上続けている。この方法は、『自分の強みは何か』という、人が自分について知るべき最も重要なことを明らかにしてくれる」


(『経営の真髄 知識社会のマネジメント(上・下)』(下)402pより)

 ドラッカーが究極において説く「マネジメント」の真髄は、このようにして炙りだされる各人の「強み」をさらに伸ばしていくようなリーダーシップである。そしてなぜこれを彼が主張するのかといえば、そこには正に「働くこととはイコール、神から与えられた役割を全うするという意味での召命(Beruf, calling)に他ならないのだ」という揺るぎない宗教的確信があるからなのだ。そしてそのきっかけとなる「強み」さえ炙りだされれば、それが顕れる場となるべき企業は自ずから輝き始めるはずなのである。そこには起業家=経営者の属人的な要素は不要であり、ただひたすら「祈り、働くこと」だけで顕現していく秩序があるのみなのである。
 ドラッカーが究極のマネジメント論を説いたと言われる所以が正にここにある。経営者、あるいは組織のリーダーとして悩み続けているであろう読者が日々舐めているに違いない辛酸は全てこの神聖なる秩序がこの世に生れいずるために必要なものなのである。

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