哲学の徒は、暗誦家ではなくて、主唱者でなければならない。従って、先哲から学ぶのも、何らかの公式ではなくて、ただ原理的な問題を見分ける、眼識だけであるとも言える。『善と必然との間に』
プラトンの「パイドロス」(245A)に言われている言葉は、すでにひろく知られている。「技術から詩人として欠くるところのない者がつくられるかのように信じて、歌神のさずける狂気をもたずに、詩作の門に至る者があっても、それの完成は望まれぬ」というのである。『天才について』
…なぜ生きているか、わかってから生きるものではなく、生きてから考えるものだ。学問もまたしかり、ということですね『人間にとって哲学とは何か』(野田又夫・藤沢令夫との対話)
われわれの教育は、科学知識は教えることができるが、発見を教えることはできません。発見は、自己による自己の仕事で、自分でやるよりほかはないのです。『人間の進歩について』
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141115#1416047863
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140901#1409568210