『老子講義』
P381
知りて知らずとするは、上なり。知らずして知れりとするは、病なり。夫れ唯病を病む。是を以て病あらず。聖人は病あらず。其の病を病むを以て、是を以て病あらず。
P382
知らずして知れりとするは、病なり。の人の方がこの世にはたくさん存在するわけです。俗にいう知ったかぶり、のことですが、これは一つの病気であり、欠点である、というのであります。
ところがこの世の中では、知らないことでも知ったようなふりをして、得々と演説してまわるような人が、意外に地位や権力や、金力を得てしまうようなことが多く、知ったことでも知らないように、自己を現わさない、いわゆる立派な人の方が有名にならないでいたりするのです。
政界に乗り出そうとするような人には、知らずして知れり、とする人が多いのでありまして、自分が出さえすれば、必ず政治が善くなるようなことを言う人も随分あります。
こういう人は、一つ知っていることをあたかも十も二十も知っているように話したり、知らぬことでも決して知らぬと言わずに、知ったような顔をして肯いていたりするものです。見る人から見ればすぐに判ることなのですが、一般の人々は、こういう、いわゆるハッタリの人をやれる人とか偉い人とか思ってしまって、代議士に選んだりしてしまうのです。
P387
聖人は病あらず。其の病を病むを以て、是を以て病あらず。このように、聖人というもの立派な人格者という者は、自己の心に欠点の起こらぬように、自己の心が病まぬように、常に本心の座に想いを入れているので、心が病むことが無いのである。と老子はいっております。
ここで一寸私自身として言いたいことは、この章のはじめの、知りて知らずとするは、上なり、という謙虚な態度はまことに結構なのですが、この言葉に把われてしまいますと、言わなければならない立場の人が言わずじまいで、結果を悪くしてしまうこともあるのですから、言うべきときには言い、言わざるときには言わず、という、自然法爾的な無為から生まれてくる言葉や行為になることが必要なのです。
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