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「赤穂浪士の討ち入り」事件を当時の人々はどう見ていたか? サミーのつれづれブログ

忠孝の二字をば虫がくいにけり世を逆さまにさばく老中

 まず徂徠は「赤穂の士は義を知らず、その吉良士(きらし)を殺すは、すなわち山鹿氏の兵法なり」と断じ、春台は「先ず赤穂浪人が敵討の謀が熟する前に、老いぼれの吉良が死んでしまったらどうか。・・・・彼らの名誉(?)も偶然のもので、何もたいしたことではない。・・・赤穂浪士のなすべき最上の策は、赤穂城に立てこもって城を枕に討死することであった。・・・・次善の策として彼らは直ちに江戸へ来て吉良を攻めるべきであった。


(ところがそういうこともせず)卑怯にも夜討をして強盗のように押し入って吉良を殺した。
その場合に自殺すればよいのに・・・・幕府に訴えた。・・・と思うに、かりに生命を助けられたらどこかの大名に高級で就職しようという魂胆だったと思われても仕方があるまい・・・・」と痛烈にこきおろした。

荻生徂徠 - Wikipedia

「義は己を潔くするの道にして法は天下の規矩也。礼を以て心を制し義を以て事を制す、今四十六士、其の主の為に讐を報ずるは、是侍たる者の恥を知る也。己を潔くする道にして其の事は義なりと雖も、其の党に限る事なれば畢竟は私の論也。其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、尤も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下のは立つべからず」

「徂徠豆腐」は、将軍の御用学者となった徂徠と、貧窮時代の徂徠の恩人の豆腐屋赤穂浪士の討ち入りを契機に再会する話。

徂徠が貧しい学者時代に空腹の為に金を持たずに豆腐を注文して食べてしまう。豆腐屋は、それを許してくれたばかりか、貧しい中で徂徠に支援してくれた。その豆腐屋が、浪士討ち入りの翌日の大火で焼けだされたことを知り、金と新しい店を豆腐屋に贈る。ところが、義士を切腹に導いた徂徠からの施しは江戸っ子として受けられないと豆腐屋はつっぱねた。それに対して徂徠は、「豆腐屋殿は貧しくて豆腐を只食いした自分の行為を『出世払い』にして、盗人となることから自分を救ってくれた。を曲げずに情けをかけてくれたから、今の自分がある。自分も学者として法を曲げずに浪士に最大の情けをかけた、それは豆腐屋殿と同じ。」と法の道理を説いた。さらに、「武士たる者が美しく咲いた以上は、見事に散らせるのも情けのうち。武士の大刀は敵の為に、小刀は自らのためにある。」と武士の道徳について語った。これに豆腐屋も納得して贈り物を受け取るという筋。