もいちど言っておきます。春野先生はスゴイです。: ななふく日記
「梶川大力の粗忽」
殿中松の廊下で刃傷に及んだ浅野内匠頭を背後から羽交い絞めにして、とどめの一太刀に及ばせなかった梶川与惣兵衛が、老中土屋相模守に「曽我物語」を例に武士の情を説かれ、松の廊下での「無情」をなじられ、世を捨てて出家するという話。
この事件の仔細を『梶川与惣兵衛日記』に残した。
頼照はその後の赤穂浪士の討ち入りで高まっていく浅野贔屓の空気の中で辛い思いもしたようである。日記の最後には「この事件のことを色々知ることになった今となれば、内匠頭殿の心中は察するにあまりある。吉良上野介殿を討てなかったことはさぞかしご無念であったろう。本当に不意のことだったので自分も前後の思慮にまで及ばなかったのである。取り押さえたことは仕方なかった」と言い訳が添えられている。
忠臣蔵哀話…梶川与惣兵衛の巻-「社会・ニュース」の質問 - グリキュー
彼は事件の五日後に「刃傷を防ぎたるはまことに神妙」と幕府により五百石の加増
しかし武士からも江戸っ子からも批判的に扱われ旗本を隠居
「武士の情けを知らぬ犬侍!」などと揶揄され赤穂浪士討ち入りの際には「梶川与惣兵衛が浪士に討たれた!」との噂まで流れた
墓は天徳院(中野区上高田)にある。武士の墓らしく立派な墓塔であるにもかかわらず、無縁墓地の中に置かれ、殆ど訪れる人も無いという。