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「麻布中学・高等学校」の教育方針がいかにすごいか - ライブドアニュース

例えば、理科の授業では中学1年で化学と生物、中学2年で物理と地学を学ぶという。大学受験の準備のようにも見えるがさにあらず。それぞれ専門性の高い教員が本質から理解できるような授業を展開していくのだ。他の科目でもそれは同じで、社会科ならば高校1年時に各自がテーマを設定してそれに関する論文を書く「修論」がある。

 と、こんな具合で見てみると、「やはり進学校、本来中学高校でやるべきカリキュラムなんてあっという間に済ませてしまうのだ」と思うかもしれない。


 だが、麻布の本質はそんなところにはない。そもそもこうした一風変わった授業も、決して大学受験(もっと言うなら東大受験)に直接役に立つようなものではないし、麻布の教員たちも東大に合格させるためにこうした授業をしているわけでもないのだ。

もちろん問題を起こした生徒を「腐ったミカンは放り出せ」などと言って退学させることはなく、中高6年間最後まで丁寧に面倒を見てくれる。

こんな高校に通っていれば、尾崎豊も夜の校舎の窓ガラスを壊して回ろうなどと思わなかったに違いない。

 麻布がこうした教育方針を取っているのには、もちろんワケがある。この本では、「“自由に生きよ”ということだ」とまとめているけれど、つまりは世の中の流れになんとなく流されて生きるのではなく、自ら“自由”な生き方ができる人を育てたいということのようだ。そして、そのためにはただ自由奔放なだけではなく、“考える力”を育てる教育が不可欠、ということなのである。


 となると、「結局知識詰め込みの教育は間違いってことじゃんか」と言う人もいるだろう。確かに、麻布をはじめとする歴史ある進学校では、知識詰め込みではなく考える力を養う教育で結果を残し続けている。けれど、それはある意味間違っている。


 考える力がいくらあっても、考えるための材料となる知識がなければそれはムダである。つまり、麻布の生徒たちは知識の詰め込みをしなくても自分から新たな知識を取り入れようとする意欲を持っているということだ。そして、学校側もそんな知識欲に溢れる連中を入学させているのだから、あとは自由な校風の中で考える力を身につけさせればいい、というわけである。



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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141123#1416739003