レピュブリック広場からバスチーユ広場までのコースは、左派系のデモの典型的ルート。舞台になったシャルリー・エブドのオフィスもこの区画。オランド政権だから、このルートになったというのもあるかもしれない。サルコジが再選されていてこの事件が起きたなら、シャンゼリゼ→トロカデロだったろう。
多分ね、サルコジ(右派)政権だったとしても、同様の追悼行進は組織されていたでしょう。また、多くの市民が #JeSuisCharlie というプラカードを持って「連帯」を示すというこの行為。日本とフランスの政治に対する肌感覚の差ではないか。