ムスリム側は、非ムスリムに自らの信仰に基づく規範を押し付けることはありません。信じられないでしょうが。これまで、圧倒的な力で「価値」を押し付けようとしたのは、フランスが最も強いですが、西欧世界の側です。ムスリムの世界も、領域国民国家を組み立てざるを得ない状況に追い込まれました。
現状の中東・イスラム世界の国々をみれば明らかですが、どこにもイスラム国家はありません。ほとんどが近代西欧国家、領域国民国家の擬制でしかありません。そのことと、イスラム法の体系がどうにも整合しなくなってきたため、ムスリムの中には国民国家では生きにくいと感じるようになっていったのです
イスラム国や自称カリフが登場したのも、直接的にはシリアやイラクのカオスが原因としても、すでに、世界中のムスリムのなかに、カリフ待望論が起きていることが背景にあります。国民国家の源流のようなヨーロッパ諸国で、ムスリム移民達が、違和感(中身は国ごとにちがいます)を感じ、ムスリムとして
再覚醒していったのもそのためです。
フランスでもドイツでもそうですが、移民第一世代の人たちは、ムスリムではあっても信仰実践に熱心ではありませんでした。彼らは、自分たちが母国で「これがイスラム」と信じていたものを持ってヨーロッパに渡りましたが、実際、イスラムについても、フラン共和国についてもよく知りませんでした。
今、ヨーロッパ諸国でイスラム・フォビアが強まっていることには、いろいろな要因があります。フランスの場合は、世代が変わるにつれて信仰実践に熱心なムスリムが増えたことで、極右のみならず、共和主義者たちが苛立ったことが一つの原因です。ライシテにしてもそうですが、ムスリムの側にはあの理屈
は決して通じません。ごく大雑把に言えば人間社会を「聖」と「俗」に分ける発想がムスリムにはないからです。一度、再覚醒してしまうと、イスラムの信仰実践は公的、私的を問わずあらゆる領域に出てきます。フランスはそれを許しません。スカーフ問題もそうですが、両者は歩み寄ることはありません。