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佐藤元首相の沖縄演説 米の要求で変更 NHKニュース

沖縄が返還される7年前の1965年8月19日、当時の佐藤総理大臣は総理大臣として戦後初めて沖縄を訪問し、現地で行われた歓迎大会で住民らを前に演説しました。
15日公開された当時の日米間の交渉経緯を記した外交文書によりますと、アメリカ側はこの演説が行われる3日前に文案を事前に提示するよう求めました。
その翌日、日本側は沖縄の本土復帰に向けた日本から沖縄に対する援助などを中心にした文案を提示しましたが、その際アメリカ大使館の参事官は「日本自身の安全保障にとっての沖縄の重要性に言及されていないことは何とかならないか」と不快感を伝えました。
さらにその翌日、アメリカの代理大使が外務省を訪れ、アメリカ政府の意向として「演説は、アメリカによる沖縄施政を軽視しており、改訂を申し入れる。このまま演説が行われれば、沖縄に関する日米協力関係に障害があり得る」などと迫りました。
これを受けて日本政府内で文案の変更が協議され、実際に行われた演説では「極東における平和と安定のために沖縄が果たしている役割は極めて重要だ。沖縄の安全がなければ日本本土の安全はなく、また日本本土の安全がなければ沖縄の安全もないことを確信している」などと、沖縄の安全保障上の重要性を強調する内容が追加されました。
また「アメリカの施政下にあっても、沖縄の経済発展と住民の福祉の向上の面で相当の進展が見られた。アメリカ政府や現地施政当局の熱意は高く評価する」という表現も追加され、アメリカ側の強い要求を反映した形で内容が変更されたことが分かります。
外交史が専門の国立公文書館アジア歴史資料センターの波多野澄雄センター長は「日本は直接沖縄県民に語りかけることを主眼に演説の文案を作った。しかし、アメリカにとって沖縄は極東戦略の拠点であり、日本の防衛の拠点でもあり、演説にそういう趣旨を是非書いてほしいという要望があった。日本とアメリカの沖縄に対する考えの違いがよく分かる」と話しています。

沖縄の基地返還促進 “消極的”意向伝達 NHKニュース

これは沖縄が返還される2年前の1970年6月、当時の外務省のアメリカ局の担当者と東京のアメリカ大使館の関係者との間で行われた協議の内容を記した外交文書で明らかになったもので、返還交渉の最大の焦点となっていたアメリカ軍基地の整理統合を巡るやり取りが記録されています。
この中で、この外務省の担当者は私的な見解として「沖縄住民のアメリカ軍基地の整理統合への期待感は、基地を本土並みにするのとは別物で、若干の象徴的な基地の返還と基地の量的縮小の2面における成果が上がることが必要だ」と指摘しました。
そのうえでこの担当者は基地の縮小幅について、「乱暴な数字を言えば、返還時に現在の基地の規模の70%前後に縮小すれば、国民の目には整理統合が行われたと映るであろう」と述べ、返還の促進に消極的とも受け取れる意向を伝えていました。
また、同じ年に政府部内で行われたアメリカ軍基地の返還を巡る協議の内容が記された別の文書では、外務省の担当者が「軍用地が返還されても、わが国の防衛力からして無用の長物となるおそれがあり、取り壊し費用もかかって、かえって迷惑だ」と指摘するなど返還後の整備費用がかさむという判断も、こうした意向に影響を与えていたことがうかがえます。
防衛省によりますと、結局沖縄のアメリカ軍基地は、1972年5月の本土復帰の際には復帰前のおよそ80%の面積に縮小されたということです。
日米外交史が専門の東洋英和女学院大学の増田弘教授は「当時アメリカ側には基地を減らすことで日本国民の対米感情をよくしようという考え方があった。沖縄返還交渉が本格化していた際、日本政府が基地返還の受け入れに、もう少し積極的な姿勢を示していれば、いまのアメリカ軍基地を巡る状況は変わっていたかもしれない」と話しています。