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Jun / Джюн

いますぐに名前は出て来ないが、息子すら古代ローマを支持する中、故国を離れてまでローマへの抵抗を続け、最後は小アジアパレスチナ等の各国王に「ローマに自由を奪われるのは、次はあなた達だ」と黒海沿岸から死ぬまで書簡を送り続けた王の事が、脳裏から離れない。

繁栄の足下には、誰かが、何かが代償として横たわっている。寧ろ、繁栄を享受している者たち踏まれていると言う事もできる。
だから、その王の事が頭から離れない。

田村由美さんの「BASARA」を思い出してしまいました………。

権力者対民の物語としては傑作かと。雪の中で傷ついた兵に手を差し伸べる千草の言葉は胸に沁みました、、。

ミトリダテス6世 - Wikipedia

エウパトル・ディオニュシウス(Eupator Dionysius)、ミトリダテス大王とも呼ばれる。

幼少期より学術・言語・武術いずれにおいても秀でた才能を示したとされる。

プリニウスによるとミトリダテス6世は支配下に置いた国で使用されていた22の言語全てを通訳無しで会話することが出来、かつ抜群の記憶力の持ち主であったとされる。

上述したようにミトリダテス6世は「エウパトル・ディオニュシウス」の名でも知られる。その由来となる「ディオニューソス」はギリシア神話の神であり、ミトリダテス6世がギリシアに対して並々ならぬ思い入れを持っていたことがここからも窺える。

モーツァルトは自身のオペラ・ハウスデビュー作として、ミトリダテス6世の生涯を題材とした歌劇「ポントの王ミトリダーテ」を作曲した(初演は1770年12月26日ミラノ宮廷劇場(現:スカラ座)。この時モーツァルトは14歳であった)。

紀元前63年(79歳没)

ポントス - Wikipedia

現在はトルコ共和国領内に属している。

肥沃な土地に面し穀物などが豊富に取れ、鉱物資源も豊かであり結果的に、ポントス王国は強大な国家へと変化していく。

第一次ミトリダテス戦争 - Wikipedia
ミトリダテス戦争 - 世界史の窓

モンテスキューはその『ローマ人盛衰原因論』(1732年)の第7章を「いかにしてミトリダテスはローマ人に抵抗することができたか」として1章を割き、“ローマ人が攻撃した王たちのうち、ミトリダテス(6世)だけが勇気をもって自らを守り、かつ彼らを危険に陥れた。”と述べている。<モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』 1989 岩波文庫 田中治男・栗田伸子訳 p.85>

また、いささか古い書物だが、吉村忠典氏の解説は次の通りである。これらを読むと、現行の世界史教科書でのミトリダテスは無視されすぎている感がする。
(引用)「ミトリダテス大王はローマに対する抵抗の鬼であった。黒海の北岸に追いつめられつつも、大王は今のドイツ地方からフランスに出て、ガリア人の協力を得、そこからイタリアに攻め入って第二のハンニバルになろうという、雄大な構想で戦備をととのえようとした。イタリア半島の住民が最近ローマに反乱を起こしたばかりであることも、大王の計画にとっては有利と思われた。しかし大王の兵士はこの大計画の前に逡巡した。やがて大王のむすこと兵士は大王に反乱を起こし、紀元前63年大王は遂に自殺した。時に大王は68歳。
大王のローマに対するレジスタンスは40年の長きにわたった。その間彼は小アジアにおけるローマの勢力圏で戦ったほか、バルカン半島にまで攻め入り、一時は地中海の東半分をその支配下においた。彼はローマの将軍の何人かをうち破り、何人かを捕虜とした。しかし、武運つたなく、最後はわが子の裏切りにあって自殺をとげたのである。」<『教養人の世界史』上 教養文庫 吉村忠典執筆分 1964 社会思想社刊>

ミトリダテス家 Mithridates − Reichsarchiv 〜世界帝王事典〜

BASARA (1) (小学館文庫)

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主人公が苦難に耐える様子も、現実に打ちのめされる絶望も、すべてが迫ってきて泣きたくなります。だけど本当に描かれているのは苦しみではなく希望と成長。読んでいるこちらも前を向いていけるような、一掬いの光をくれるのです。