「大学卒業の学力を統一試験で公平に認証しよう」とかいうのを熱心にやっている人たちがおる。たぶんそういう人たちは「社会の不公平」を学生の目から隠蔽したいのだろう
このRTに関連して思い出したのが、イェスパー・ユール『失敗の技法』での「ゲームはプレイヤーにもっと〈失敗〉させるべき」という主張。ある時期以降、急速に増えた「時間をかければ誰でも解ける(成功する)ゲーム」よりも、「技能に応じて成功・失敗が分かれるゲーム」の方が実は「公平」なのだ。
そしてユールによれば、ゲームが実現している「公平性」は実社会の中には存在しない。周知のように実社会では、必ずしも努力や技能に応じて成功・失敗が決まるわけではない(しばしばその他の要因に左右される)からだ。「ゲームは公平だ」と言うと穏当に聞こえるが、実はかなりラディカルな話。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150127#1422355167
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150127#1422355170