「私は、ならば、最も厳格な意味では、ある思考するものに過ぎない。つまり、私は心であり、知能であり、知性であり、また理性なのだ―これらの言葉の意味を、ほんの今まで私はしらなかったのだが」この、デカルト『省察』のコギト論直後の「君に出会うまで愛とは何か知らなかった」的ドラマチックさ。
Nunc sciō quid (sum) Amor. Verg.Ecl.8.43
今なら愛が何であるかが私にはわかる。
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sit
Sufficit mihi conscientia mea; nōn cūrō quid dē mē loquantur hominēs.
私には自分の良心で(良心があれば)十分である。私について(他の)人々が何を言うかは気にかけない。