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『奇跡を考える 科学と宗教 (講談社学術文庫)』
P58

 その町に赴任したカトリック大司教は、イスラム教徒が遺棄していった書物を調べてみた。読めないながら、書かれていることは、これまでヨーロッパ世界(キリスト教世界)に知られていないことばかりだった。

P59

そして、それらを取り敢えずラテン語に翻訳することを思い立った。

P60

 したがって、こうした一二世紀の「古代復興」の過程は、今では「一二世紀ルネサンスという概念として定着している。しかし、問題はその中身である。一体ヨーロッパは「古典的ギリシャ」の学問を復興した結果、何を造り出したのであろうか。ここでも大ざっぱな言い方をすれば、そこでヨーロッパ世界が独自に造り出したものこそ、スコラ学だった。
 スコラ学と呼ばれるものも、決して一様ではないが、ここでも大ざっぱの鉈を振るえば、結局それはトマス・アクイナスの哲学と言ってそれほど的外れにはなるまい。トマスの哲学の内容は、もう一度大ざっぱを繰り返せば、アリストテレスの自然哲学とキリスト教信仰との融合されたものである。
 アウグスティヌスがあれほど強く影響を受け、それ故、ある程度はヨーロッパ世界にも伝えられてきたプラトンの哲学とは違って(といっても、プラトンの著作類がきちんとした形でヨーロッパ人の手に入るのは、それから約三◯◯年後のことである)、アリストテレスのそれは、上にも述べたように全くヨーロッパ世界に知られていなかった。そのために、初めてこのとき導入されたアリストテレス主義を学問的基礎として、スコラ学、トマスの哲学が造り上げられたのは、歴史的な偶然でもあり、またある種の必然であった。

ちなみに言えば、こうしたスコラ学の誕生と符節を合わせて、大学という社会的制度が生まれ、書物が次第に普及し(印刷術も含めて)、学問を支える制度にも、大きな変革・革命が起こったのだった。

P62

一五・一六世紀ルネサンスで復興された古代は、実は一二世紀ルネサンスで取り残されていた古典ギリシャの学問の柱の一つ、つまりプラトン主義だったのだ。言い換えれば、一二世紀ルネサンスでヨーロッパはアリストテレス主義を復興し、一五・一六世紀ルネサンスではプラトン主義を復興し、自分の知的、学問的財産のなかにそれを加えたのだった。