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「除名」された日本舞踊・花柳流プリンス「流儀に反したことは一切していない」

「家元VSプリンスのお家騒動」としてテレビなどで報じられている日本舞踊・花柳流の後継者争いが、裁判所に舞台を移して展開されている。「花柳流のプリンス」との声もある花柳貴彦さんが現在の家元から「除名」通知を受けたのに対して、除名処分は無効だと裁判で訴えているのだ。

この裁判そのものは「除名」の是非をめぐるものだが、その背景には、3代目宗家家元の花柳壽輔(本名・花柳若葉)さんが2007年5月に急逝した後、誰が家元を継ぐべきだったのかという問題意識があるようだ。


現在、家元を名乗っている4代目花柳壽輔(本名・花柳寛)さんは裁判で、自らが花柳流の正当な宗家家元だとして、「除名処分は有効だ」と主張している。


一方、貴彦さん側は「寛氏には宗家家元としての正当性がなく、処分権限がない」「指摘されている事実は、花柳流の除名理由に該当しない」などと反論している。

青山貴彦 - Wikipedia

三代目花柳壽輔(三世)は、青山貴彦花柳貴彦)を次期家元とする意思を周囲の者に伝えており、それを前提として家元教育が行われた。平成19年1月に原告の祖父であり三世の叔父にあたる花柳壽楽が逝去した後、三世は身近な者に対して平成20年1月に予定されている花柳寿楽の一周忌以降、青山貴彦花柳貴彦)を次期家元とすることを正式に発表する旨を話していた。しかし、三世はこの正式な発表を行わないまま平成19年5月に急逝してしまった。
三世の急逝後、三世の後見人であった花柳寛が四世宗家家元への就任を自ら発表し、その後も家元としての活動を継続したことにより、三世の意思に反して青山貴彦花柳貴彦)は宗家家元の地位に就くことができない状況が続いている。

花柳壽輔 (4代目) - Wikipedia

1967年(昭和42年)5月に五代目花柳芳次郎(ごだいめ はなやぎ よしじろう)を襲名し、当時花柳流三世家元だった三代目花柳壽輔の後見人となった。2004年2月には三代目花柳壽輔長唄楊貴妃』で共演、2007年2月国立劇場大劇場で開催された社団法人日本舞踊協会公演で三代目壽輔と長唄『雨の四季』で舞台を共にしたの最後となった。同年5月の三代目壽輔の死去後、6月に先ず花柳芳次郎名跡を孫の花柳創右に譲り、自らは花柳 寛應(はなやぎ かんおう)を襲名、舞踊会を歌舞伎座で開催。そして三代目花柳壽輔の葬儀の喪主挨拶で、四世宗家家元花柳壽輔襲名を自ら宣言した。

三代目花柳壽輔はまたいとこにあたる。