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『空海入門 (角川ソフィア文庫) [Kindle版]』
No.1193

池の水にうつった月影は、夜半になると東の岸の水面から出て美しい光を放ちながら西の岸に消えていく。人々は、ああ月は消えてしまったと考える。しかし真実の月は天上にあって永遠に輝いている。ちょうどそれと同様に、真実の仏身は、極めて古い時代に過去の修行の結果として成仏し無量寿を得ている仏陀なのである。インドに出現した仏陀釈尊も、迷える衆生を救済するためにその機根に応じて現れた仏陀で、いわば水面に映った月影であり、応身である。諸々の大乗仏教では、この報身(永遠なる仏身)を真実の仏身と仰ぐ。ここではっきり大乗と小乗の区別ができる。
 すなわち真実の仏陀釈尊だと見るのが小乗仏教で、永遠の仏陀、報身の仏陀真仏と見るのが大乗仏教である。阿弥陀如来薬師如来も、大乗の仏陀はすべて報身である。大乗経典では、如来は一様に、はじめ菩薩であり、長い修行ののちにそれぞれの願いが成就し、その報いとして如来になった旨が明示されている。
 しかし、ひと口に大乗といっても、四方八方、十方にそれぞれ如来が出現していくわけで、その結果として、大乗仏教は、十方に如来がおられ、さながら多神教のような様相を示すようになった。西方の阿弥陀如来を拝むもの、東方の薬師如来を拝むもの、それぞれ別の方向を拝んではいるが、実は大乗仏教に変わりない。こうした多仏的な大乗仏教の共通の帰着点を法身と称し、その法身こそ釈尊はもとより、大乗諸如来の原点である、と位置づけたのが真言密教である。
 つまり、空海真言密教は、釈尊以来次第に発展していった仏教の帰着点を確定したのであり、言い換えれば仏教諸宗を法身によって統合することになる。

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