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1300年で成功者は1人だけ! 1000日間48kmを歩き続け、脱落者は即切腹…過酷すぎる「千日回峰行」を終えた僧の言葉 | ログミー

千日回峰行」では、1日48kmの山道を1,000日間歩き続け、その行が終わると、今度は9日間「飲まない」「食べない」「寝ない」「横にならない」という修行を続けます。私は幼い頃、この修行をある日テレビで知りました。


とても純粋な気持ちで「この修行に挑戦したい」と思いました。なぜ10代の子供でこのような修行に挑戦したいと思ったのか分かりませんが、小さい頃から「みんなが仲良くするためにはどうしたらいいんだろう」、そして「どうして人と人とは争うのだろう」、「それを解決するには一体どうしたらいいんだろう」ということにとても興味を持っていたからかも知れません。

この行に入ると、1日48kmの山道を16時間かけて毎日歩き続けなければなりません。そして、5月3日から9月3日までの4ヶ月間を行の期間と定め、その間は雨が降ろうが、嵐が来ようが、どんなに体調が悪かろうが、途中で止めることはできません。


もし万が一、自分で止めなければならないと判断したならば、その場で腹を短刀で切って行を終えるという厳しい掟があります。

行に入ると、毎日23時30分に起床します。そして滝に入り、装束を整え、おにぎり2つと500mlの水を持って、午前0時半、目指す山頂が24km先にある1719mの大峯山山頂を目指します。


途中、急な斜面や断崖絶壁のような悪路もあり、まさに一瞬一瞬が命がけです。山頂到着が朝の8時30分。そこでおにぎりと水を補給し、また来た道をたどって帰ってくると夕方の3時半。そこから掃除、洗濯、次の日の用意をして、また4時間半ほどの睡眠(の繰り返し)で、この4ヶ月を通します。


1日のほとんどをおにぎりと水で生活するため、1ヶ月ほどで栄養失調により、ボロボロと爪が割れてきます。3ヶ月目になると、40度を超える気温の中歩きますので血尿が出てしまいます。山では熊、猪、マムシがいつ襲ってくるか分かりません。


そういった中を、日々精いっぱい前を向いて歯を食いしばって修行をします。行の中で、私は心に思ったことを日記に書き綴っていました。

「17日目。行者なんて次の一歩が分からないんだ。行くか、行かないかじゃない。行くだけなんだ。理屈なんか通りゃしない。もし行かなけりゃ、短刀で腹を切るしかない。そう、次の一歩が分からないんだ」

行に入ると、肉体的・精神的に非常な極限状態に日々追い込まれます。しかし、心の中はいつも潤っていました。それはなぜかというと、自分がこの行を通じ、精いっぱい努力をして、いつも心の中で強く「世界の人たちのために何かお役に立てるような人間になりたい」と(いう)夢や希望に満ちあふれていたからかも知れません。しかし、1,300年の中でまだ1人しか達成していないというこの修行は困難を極めました。


(行の最中に)最低3回は生きるか死ぬかの試練があるといわれております。まず1回目は、大きながけ崩れに巻き込まれそうになったこと。2回目は、熊に襲われかけたこと。そして3回目は、(行に入って)488日目から10日で11kgもやせてしまうという体調不良でした。

「489日。腹痛い。たまらん。体中の節々が痛くてたまらん。道端に倒れ、木に寄りかかり、涙と汗と鼻水を垂れ流し、でも人前では毅然と(している)。俺は人に希望を与えさせていただく仕事。


人の同情を買うようでは行者失格だと言い聞かせ、やっと蔵王堂に帰ってきた。なんで48km歩けたんだろう。さっき、近所のおばちゃんが『軽い足取りやねえ、元気そうやねえ』と(言ってきた)。


俺は『はい、ありがとうございます』と答えたが、本当は違うんだよ。俺の舞台裏を誰も知る人はいないだろう。いや、知ってくれなくていい。誰に見られることを意識しない。野に咲く一輪の花のごとく、御仏に対し、ただ清く正しくありたい」

何日も高熱が出て何も食べることができず、そして私は495日目にとうとう山の中で力尽き、闇の中に倒れてしまいました。その時の心境はというと、辛いとか苦しいとかいう感覚はまったくありませんでした。何かに包まれているような、そういう感覚です。


そして朝になったら、自分はここで死を迎えると感じておりました。すると、幼い頃からの記憶が蘇り、色んな人にお世話になったことを思い出し、「こんなところで倒れてはいけない」と強く前に進んだため、自分は今ここにいます。人間は生死をさまようような体験をすると人生観が変わるといいますが、その後に書き綴った日記を読んでみましょう。


「563日。人間は皆平等であると思います。この地球に生まれ、空気も水も光も平等に与えられていることを感謝しなければならないと思います。夜空の星の数は人間が一生かかっても数え切れないといいます。


それを考えたならば、もっと心豊かに生きていかなければならないと思いました。自分の胸に手をやれば心臓が動いています。


しかし永遠に動いていることはないと思えば、人生という与えられし限られた時間を大切に生きられるはずです。自分を大切にするように、人をも尊重するということも忘れてはいけないと思います。


思いやりの心が私たちに幸せをもたらす道です。朝起きる、歩く、食べる、寝る。人間生活の原点に返り、たった1人お山にいるとこんなことを考えてしまいます」

今から2,500年前、釈尊「同じことを同じように繰り返して、情熱を持って毎日を過ごしていると悟る可能性がある」と言われました。ここに行の意味があります。日々、汗し、涙し、そして歯を食いしばって歩いていると、「人間として大切な物は何か」ということに気が付き始めます。


その極限の世界で感じたことが「感謝の心」であり、「反省の心」であり、相手を思いやる「敬意の心」だと(いうことです)。しかし、こういうことは日常ではとても当たり前であり、小さい頃に家庭で教わるようなことです。


けれども、自分自身が本当に生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、「こういうことが大事だったんだ」ということが心の奥底で実感できるようになるのであります。

大切なのは、あらゆる存在との調和だと思います。我々1人ひとりはかけがえのない存在であります。誰でも自分が可愛くて、自分が大切です。だからこそ、自分を大切にするように、人も尊重するということを第一に考えなければなりません。


心から相手を思いやる心、言葉や行動が人と人とをつなぎ合わせ、その功徳が回り回って心を潤し、そして我々を光ある人生へと導いていくことでしょう。


争いや対立からは心の喜びは生まれません。今、与えられたこの環境を真摯に受け入れ、向き合ってみることも大切です。向き合うことによって、初めて何かが生まれ、絆が深まります。もちろん、さまざまな問題や困難を抱えてしまうかもしれません。


しかし、互いに尊重し合い、敬意を払い、話し合うことによって、新しい方向性が見えてくる場合もあるのです。私たち東北人も大きな困難と向き合い、そして(互いに)絆を深めてきたからこそ、今ここまで復興してまいりました。


日本人はよくあいまいだと言われますけれども、決してそんなことはありません。多岐にわたる選択肢の中から、人と人とをつなげ、良き方向に考えられる民族です。この「和」の精神を、日本の東北から発信していかなければならないと私は思います。


世界中の人と人、国と国、そして宗教や文化が敬意の心を持ってお互いを尊重し、そして素晴らしい世界が実現することを心から深く願います。世界の平和や我々1人ひとりの人生に幸あれとみんなで祈りましょう。


そして今日も世界のどこかで食料がなく大変な思いをしている人たち、こういう人たちのために、何かできる範囲内で私たちが行動を起こさなければならない時期(に来ているの)だと思います。心を広く持ってみましょう。


この大自然は微妙かつ素晴らしいバランスで包み込まれています。人間がどのような技術をもってしても作れない、素晴らしい世界に包まれているのです。ここにいることだけでも感謝だと思います。


そして、人と人、心と心が通い合った時、私たちはこの上もない幸せを感じるものだと思います。私たちはそのためにこの地球に生まれてきたんだと思います。皆さんの人生に幸あれと心から願います。ありがとうございました。


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150317#1426588567
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141123#1416739003
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141115#1416047865