僕が感じる、現首相のイヤなところは、その場しのぎのウソを平気でついておいて反省もなく何の責任もとらないところ…バカなのは優秀な参謀がいれば補佐できるけど、倫理を欠いている人が首相では、仮に官僚がまともでも、どうにもならない。なんでこんな人を選んでしまうのか。
地道な努力の積み重ねが要求される重要課題には知らんぷりを決め込み、目先の効果しか得られない派手なパフォーマンスには湯水のごとくカネを注ぎ込む。
ツイッターを使ったプロパガンダ(政府や諜報機関の煽動、企業の誘導宣伝も含め)はどこの国でも盛況で、世界中で広告代理店が動員され大きなお金が動いている。戦争における広告代理店の役割については、2006年の時点で3月号「世界」の記事「独立メディアの挑戦」以降、適宜言及してきた。
今の日本ではこういった煽動があからさまに起きている。一般市民は大衆心理操作に対する免疫が足りない。苦い教訓として、アラブの春以降、市民たちに何が起きたか、ウクライナやベネズエラで何が起きているか、観察すれば集団心理操作の効力がわかるはずだ。だから世界情勢に目を向けることは大事だ。
わたしが「等身大の発言」を重んじるのは、ヒューマンスケールで紆余曲折しながら自分の立ち位置を確認し、自らの真摯な思考力を形成して行く一般市民の小さなプロセスを否定する暴力的ファシズム、全体主義、権威主義が、世界各地の民主社会を破壊してきたことを知っているからだ。
自らの「等身大」の視点を拒否し、その謙虚な立ち位置を否定した時点で、人々は自分よりも「大きく」見せるマーケティングの幻想に取り込まれ、長いモノに巻かれる全体主義に流されて行く。戦争プロパガンダがそのエッセンスだ。ISISもその手法で若者たちをリクルートしている。
ツイッターでも、フェイスブックでも、一定のアカウントが広告代理店に利用されているのかどうかを見抜くには、ペイ・パー・ビューで金を稼ぐ広告代理店の戦略を観察する必要がある。すでに古くなったとはいえ、http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/cool/ … は必見。観察する目があれば見抜けるのだ
「クールの商人」http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/cool/ … では、大企業のマーケティング部隊がアンダーグラウンドの文化やマイノリティの文化に侵入して、その「クール=刄」を吸い上げ、彼らを対象とする商品を作って逆に彼らに売りつけ、文化そのものを搾取していく仕組みを分析している。
世界各地で広がる「反体制運動」「反緊縮政策」の運動の中では、「ナレーティブ」の主導権を誰が持つか、ということが市民勢力にとって重大な課題となっている。つまり、資本主義体制を根本的に批判しようと意図した運動を展開しているときに、ナイキやユニクロに代弁させていいのか、ということだ。
「ロゴなんていらない」と宣言して言論界に躍り出たナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン」で説明した戦略的危機を乗り越える「これですべてが変わる」を出版したが、彼女の出発点は今でも輝いている。企業権力にわたしたちの運命を語らせてはならないのだ。