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「北極点無補給単独徒歩」に挑み続ける冒険家の告白--生と死のリアルがそこにあるから | ログミー

多くの人は「なんでそんなことやるんですか?」と……。まぁ、誰でも思いますよね。「危ないでしょう」と。「危険なのに、死にそうな目に遭ってまでなんでそんなことやるんですか?」って聞くんですけれども、こう言ったら誤解を受けるかもしれないんですが、たぶん我々のような人間というのは「死にそうで大変だからこそやる」んですよね。


大変じゃなかったらやらないんですよ。

その頃におもしろいエピソードがあって、なんでそんなことをやるのかという理由のヒントになる言葉を発した“ジョン・ロス”っていう探検家がいて、当時イギリスの国会に呼ばれたんですね。


委員会に呼ばれて、「イギリス政府は新しい航路の発見のために一生懸命お金も人も費やして探検を行っているが、それにはどんな公共の利益が伴うんだ? 北西航路が開拓できたら何か公共の利益になるのか?」と聞かれた時、ジョン・ロスは「全く何の利益にもつながらないと私は信じている」と。


要は「意味ないよ」って言ったんですね。ジョン・ロス本人も隊長として行ってるんですよ、何回も。「北西航路はどこだ!」って一生懸命探しに行ってる本人が、「いやぁ、何の意味もないよ」って言ったんですよ。


「なんでそんなところに行くんでしょうか?」と、そういう話っていっぱいあるんですよね。いっぱいあるんですけど、たぶん純粋に行きたかったんだと思うんですよ。そのジョン・ロスも、他の探検隊も探検家も。見てみたいんですね。まだ地図の空白地で、そこがどうなってるかもわからないところにどんな世界があるんだろう。


自分の手で謎を解き明かしてみたい。自分の目でいちばん初めに見てみたい。そういう純粋な思いだったんじゃないかなぁと。国家としての大義名分はある。で、それを実行するのはやはり個人なんですね。


個の集まりが隊になっていく。情熱を持った探検家というか、ひとりひとりの情熱を持った人間がいなければ組織としての探検もありえなかったんですね。

じゃあそこから100年、200年経って、今2014年っていう時代に私がこうやって北極を1人で歩くことにどんな意味があるのかというと、おそらく19世紀以上に社会的意味はないんですよね。


私が北極を歩いたら世界が平和になるわけでもないですし、難病の子供の病気が治るわけでも何でもなくて。「じゃあなんで行くのか?」ということなんですけれども、根底にあるのはジョン・ロスの言葉もそうなんですけども、端的に言っちゃうと「行きたいから」なんですね、私もその世界が見てみたいんです。


そして自分の力を試したい。当然過酷な世界ですから、そこに行くと日常生活では感じられない教訓というのがたくさんあるわけです。

日常を生きていると、私もそうですけど、まさか明日死ぬとは思わないじゃないですか。でもいつかは死ぬとみんなわかってるじゃないですか、理屈として。都市社会に生きていると、死は概念でしかないというか……。


でもそんなことないですよね。明日私、死んでるかもしれないです、交通事故に遭ってね。その可能性は大いにあるんですけども、まさかそうなると思ってないんですけど、でも北極とかそういう世界に行くと、死というものがリアルなんですよね。概念じゃないんですよ。


もう「ここ」にあるんですね。明日自分が生きているという保証はなくて、ちょっとしたミスで死ぬ可能性もありますし、そこにものすごく近づいてしまって「あ、やばい」と思うこともあるんですよね。


生と死、生きると死ぬっていうのは、太陽と影みたいなもので、やはりどちらか一方がくっきりするにはもう片方が必要なんですよね。


死というものが目の前にあって、それを自分で認識して自覚してるから「あ、俺は今生きてるんだな」ということがわかるんです。確かに今、我々も都市では生きてるんです。生きてるんだけど、何か私は足りないんですよね。

その年の99年の7月21日だったんですけれども、偶然見ていたテレビに、冒険家の大場満郎さんという方、北極南極を歩くという冒険をする人がいるんですけれども、テレビに出てたんですね。トーク番組だったんですけれども。

たぶん初めの10年間、1人でやってきた10年間というのは、私は1人でやりたいと思ったんです。それは、自分がどこまでできるのかをやっぱり知りたかったんですよね。自分の領分を知りたかったというか、試したかったというか、確認したかったんです。


で、そこまでやって「北極の事だったら俺は誰にも負けん」というところまで来た。でも、お金集めってどうやったらいいのかがわからないんですね。自分に足りない部分を今度は仲間がフォローしてくれるようになった。


根拠のない自信というところからスタートしたんですけど、やり続けて行ったらだんだんそれは自分の確固たる自信に変わってきたんですね。「俺はこれはできる」と。「俺にしかできない」というふうにも今は思っています。

冒険っていうのは、いちばん大事なのは主体性だと思うんですね。自分に主体を持つことです。主体を自分に持って、自分の行動をまず信じることですね。信じて、好奇心を持って、試行錯誤を繰り返すこと。それが冒険だと思ってます。


なので、冒険って別に北極とかアマゾン川とか遠く離れた僻地でしか行えないものではなくて、日常生活はみんな冒険なわけですね。自分が踏み出すこの一歩っていうのは、誰の判断、誰の主体の一歩なのか。それを私は自分の主体でありたいと常に思ってますし、北極では自分の主体で判断して一歩踏み出さないと危険であると、そういう教訓があるんですね。人の判断で踏み出すと死ぬんです。


そこが危険なのかそうではないのか、行けるのか行けないのかを判断できるのは現場では自分しかいないので、周りに誰もいないですから、常に判断の主点は自分に置かなければいけない。それは北極であろうが都市であろうが変わらない話なのかなぁと思ってます。


私は主体的に、能動的に生きること、これが冒険だと思って、これからもそういうふうに生きながら、自分の冒険をしつつ、日本に帰ってきてからは今まで経てきた経験を社会にどう還元できるかなというのもテーマに今後も冒険をしていきたいと思ってます。

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