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『知的生産の技術 (岩波新書) 』
P26

 紙や鉛筆をもたずに、そらでものをかんがえるのは、たのしいことである。とりとめのない空想にふけれるから、という意味ではない。こつこつと、文字で論理をくみたててゆくよりも、そらでかんがえたほうが、直観的な透察がよくきいて、思想の脈絡がはるかにうまくつくからである。

 ところが「発見の手帳」の原理は、そういうのとは、まったく反対である。なにごとも、徹底的に文章にして、かいてしまうのである。ちいさな発見、かすかなひらめきをも、にがさないで、きちんと文字にしてしまおうというやりかたである。

「発見の手帳」をたゆまずつけつづけたことは、観察を正確にし、思考を精密にするうえに、ひじょうによい訓練法であったと、わたしはおもっている。

ことの筋道の透察や、論理のくみたてについては、すくなくともわたしは、文章にかかないで、宙でかんがえるほうがうまくゆくことがおおい。しかし、材料の蓄積はそうはゆかない。かんがえの素材となる事実や命題を、わたしの場合、まったくあてにならないのである。そこで、発見のあるたびに。せっせと「発見の手帳」にかきとめて、蓄積をはかることにしたのである。

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