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「滋賀県」は変更すべき? 県名意見調査へ NHKニュース

滋賀県ではことし2月の県議会で、「滋賀県」の名称の認知度が低く「近江県」に変更してはどうかという質問が議員から出されたのに対し、三日月知事は「県名は非常に重い」と答弁する一方で、県の魅力を発信するうえで名称について議論することは意味があるという考えを示しました。
これを受けて滋賀県は、ことし6月に3000人の県民を対象に行う調査の中で、名称の変更についての質問項目を盛り込むことを決めました。
質問は滋賀県の名称について「今のままでいい」「変えた方がいい」「わからない」という3つの選択肢で回答を求め、「変えた方がいい」と回答した人には具体的な案を記入してもらいます。
滋賀県が平成22年に県民およそ150人に行ったアンケートでは、78%が「県名は今のままがよい」と回答しています。
調査の結果はことし8月にもまとまる予定で、県は結果を踏まえて議論をさらに深めたいとしています。

滋賀県 - Wikipedia

令制国近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名「滋賀郡」から採用された。

近江国 - Wikipedia

近江は、『古事記』では「近淡海(ちかつあはうみ)」「淡海(あはうみ)」と記されている。

おおよそ大宝令の制定(701年)・施行を境にして、近江国の表記が登場し、定着する。

滋賀郡 - Wikipedia

諸説があり、「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説や、砂州または低湿地を意味する「スカ(砂処)」に由来するという説がある。他地域の「シガ」という地名も石の多いところを指していることが多いことから、滋賀は「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説が有力と考えられている。

明治5年1月19日(1872年2月27日) - 大津県が改称して滋賀県となる。

大津県 - Wikipedia

1868年(慶応4年)に近江国内の幕府領・旗本領などを管轄するために明治政府によって設置された県。

江戸時代の近江国の領地区分は、まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領なども入り交じり、複雑な様相を呈していた。幕府領は大津奉行(時期により大津代官所)が管轄していた。


1868年(慶応4年)、新政府は大津代官所を廃止して大津裁判所を設置。4月には大津県に改組された。


1871年明治4年)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い、近江国南部の5郡を管轄する県となったが、1872年(明治5年)に滋賀県に改称されて姿を消した。

裁判所 (地方制度) - Wikipedia

地方制度としての裁判所(さいばんしょ)は、1868年(慶応4年)に、京都の新政府が諸藩に属さない直轄地を治めるために設けた地方行政機関である。司法権を行使する裁判所とは性格が異なる。