https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

自分の人生のために学ぶこと――Non scholae sed vitae discimus. | 京都 山の学校|新しい学びの場

論語』の冒頭では、学びの楽しさが独特な仕方で語られる。まずは復習することの喜びが、続いて同じ志を持った仲間が集い、切磋琢磨することの楽しさが示される。そして、このような自分たちの努力を他人が知らなくてもまったく意に介しないこと、それは、まことに君子(立派な人間)にふさわしい態度ではないか、と締めくくる。

文化を築く主役は、時代の声には耳を貸すまい。「自分は自分、他人は他人」で押し通す。これが「進んで学ぶ」者の合い言葉だ。世間は早く花を咲かせよとせき立てる。だが、花を咲かせるのは、畢竟シロを愛した花咲かじいさんにしかできぬ相談だ。目的を設定し、ノウハウをまねるだけの欲張りじいさんが集まっても、灰をまき散らすことしかできないだろう。


一人一人が自らの尊い学びの魂を守り育てたい。それが学問の自由、学びの自由を守る大道につながると信じつつ。それが、人間の尊厳と自由の輝きを守る道に他ならない

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150531#1433069040
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150531#1433069041
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150530#1432982289
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150530#1432982290
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150530#1432982291
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150530#1432982292