町村信孝前衆議院議長は、去年12月の衆議院選挙のあと、議長に就任しましたが、体調不良を訴えて、ことし4月15日に東京都内の病院に検査のため入院し、検査の結果、療養する必要があり、職務を務めるのが難しいとして、4月20日に川端副議長に議長の辞任願を提出しました。
その後、療養を続けていましたが、1日午後2時すぎ、脳梗塞のため東京都内の病院で死去しました。70歳でした。
町村氏は、旧通産省に勤務したあと、昭和58年の衆議院議員選挙に立候補して初当選し、通算12回、当選しました。この間、第2次森改造内閣で文部科学大臣を務めたほか、第2次小泉改造内閣などで外務大臣を務め、在日アメリカ軍の再編問題などに取り組みました。そして、福田内閣と福田改造内閣では官房長官に就任し、政権運営を支えました。また、自民党では最大派閥である清和政策研究会に所属し、平成18年に森元総理大臣から派閥を引き継ぐ形で会長に就任しました。税制や経済政策にも明るい政策通として知られ、自民党税制調査会の小委員長や顧問を歴任しました。
町村氏は議長辞任にあたっての記者会見で、「検査をした結果、軽い脳梗塞と診断され、医師から『当面は安静にして検査などが必要だ』と言われた。必要な期間入院し、治療に努めたい。一定の時間がたって、引き続き議員として十分な活動ができればいいと思っている」と述べていました。