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水木しげるさん 出征前の手記見つかる NHKニュース

この手記は、東京・調布市にある「水木プロダクション」の事務所で、水木さんの家族が先月26日、昔の手紙を整理していたところ、引き出しの中から見つけました。
水木さんは太平洋戦争が始まった次の年の昭和17年に徴兵検査に合格していて、手記は日付からその年の11月前後に書かれたとみられます。
この中で水木さんは、「毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何んだ哲学が何んだ。今は考へる事すらゆるされない時代だ」とつづり、自分のやりたいことすらできなくなっている時代を嘆いています。
また、哲学や宗教に関心があり、「吾を救ふものは道徳か 哲学か 芸術か 基督教か 仏教か」などと、不安や恐怖を克服するために救いを求めようとしていた当時の心境がうかがえます。
さらに、「一体俺は何をしたらいいだろう」と生き方について自問自答する一方、「吾は死に面するとも理想を持ちつづけん。吾は如何なる事態となるとも吾であらん事を欲する」と、自分の理想を持ち続けようという強い思いも記されています。
そして、「私の心の底には、絵が救ってくれるかもしれないと言ふ心が常にある。私には本当の絶望と言ふものはない」と記し、戦時中から絵が心の支えになっていたことも分かります。
水木さんは、去年の12月に心筋梗塞で入院し、ことし2月に退院したあとも療養を続けながら仕事をしているということで、事務所で取材に応じた水木さんは、手記について「書いたことも忘れていた。戦争から帰ったらすべて忘れる。戦争は99%『死』です。当時は手記を書いていないと心が安定しなかったのだと思う」と話しています。
手記を見つけた水木さんの長女の原口尚子さんは「戦地に向かう前のすごく重い内容の手記だったので、驚きました。自分なりにどう生きていくかを考えて、一生懸命、心のよりどころを求めたり、考えたりしていたことがよく分かりました」と話しています。そのうえで、「戦争の時代でも自分は自分であり続けたいと何度も書いていて、それが今に通じる水木の強さなんだと思います。やっぱり水木には絵をやりたいという1つのものがあるから、それが自信になって戦争の時代も乗りきれたような気がします」と話しています。
家族は「水木の考えの根幹を知ってもらいたい」として、この手記の公開を検討しています。

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