兵庫県南あわじ市の石材メーカーの工場では、ことし4月から先月にかけて、砂の中から弥生時代の銅鐸が7つ見つかりました。このうち4つは、銅鐸の中に一回り小さな別の銅鐸が入った状態で、奈良文化財研究所がCTを使って内部を分析しました。
その結果、いずれにも音を鳴らす「舌」という棒が入っていることが確認されました。
兵庫県教育委員会によりますと、舌はいずれも青銅製で、外側の銅鐸の舌は長さがおよそ13センチ、中にある小さな銅鐸のものはおよそ8センチで、音を鳴らすことで出来たとみられるくぼみもあったということです。また、ひもなどを通すためとみられる穴もあり、舌をつるした銅鐸をそのまま埋めた可能性が高いということです。
兵庫県教育委員会などによりますと、銅鐸は弥生時代、農耕などの際の祭りに使われたとされ、全国で530点余りが見つかっています。
音を鳴らすための舌はおよそ30点が発掘され、銅鐸と青銅製の舌が近くで見つかったのは、鳥取県の「池ノ谷第二遺跡」と兵庫県南あわじ市の中ノ御堂に続いて今回が3例目です。7つの銅鐸のうち、すでに中の様子が確認された3つも近くで舌が見つかっていますが、中に入った状態で確認されたのは今回が初めてです。
銅鐸は、弥生時代前期に作られるようになったころは小型でしたが、時代が進むにつれて大型化し、音を鳴らすよりも装飾性が強くなって、「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」に変化していったとされています。
この中で、今回見つかった銅鐸は極めて初期のものとみられ、奈良文化財研究所埋蔵文化財センターの難波洋三センター長は、調査結果などから、銅鐸の初期の姿は舌を内部に伴うものだったと考えられるとしています。そして、銅鐸は故意に埋められることがあり、多くの場合は舌を外してから埋められたものの、南あわじ市付近では、そのまま埋める地域的な特徴があったのではないかと推測しています。
難波センター長は「これまで、舌が木などで作られた可能性も指摘されてきたが、初期の段階では青銅製の舌を伴うのが一般的だったと考えられる」と指摘しています。そのうえで「今回見つかった地域には一定の有力な勢力が展開し、銅鐸を埋める際、舌を外さないという独自の文化を持っていた可能性がある」と話しています。