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宝塚ジャーナル : 宝塚に革新をもたらす群像劇 『1789〜バスティーユの恋人たち』

この作品を観て、まずなんと言っても圧倒されるのは群衆シーンの迫力だ。革命の蜂起を表す民衆たちのダンスナンバーが、ロックテイストの音楽に乗って熱く、濃く展開され、たたみかけてくる迫力には比類のないものがある。つまり、フランス革命を民衆側から描いた物語であり、その1人としてロナンがいる。この群像劇としての在り方は、スターシステムの宝塚にあっては極めて異色で、そのことに何より驚かされた。その一方で、王宮側の主人公としてマリー・アントワネットが大きくフィーチャーされた効果にもまた絶大なものがあった。享楽の日々を送っていたある意味無邪気な王妃が、王太子の死によって自らの罪を悔い、真のフランス王妃たろうとする心の軌跡と成長が丁寧に描かれることによって、同じフランス革命ものの『ベルサイユのばら』を伝家の宝刀とする宝塚に、この『1789』の世界観が無理なく着地することに成功したと言えるだろう。
民衆側の主役にトップスターの龍真咲、王宮側の主役にトップ娘役の愛希れいかを配したが為に、トップコンビである二人が恋に落ちない、劇中で目も合わせないというイレギュラー中のイレギュラーに驚きがなかったと言ったら嘘になるが、その意図するところはなるほど納得させられるものだった。全体が群像劇であることを含めて、宝塚歌劇が101年に新たな攻めに出たことの、象徴的なキャスティングでもあったと思う。


そのロナンの龍は、宝塚のトップスターとしてこれほど助けてくれるものがない役どころも珍しい作劇の中で奮闘している。最下層の身分で、無学で、後ろ盾になるものは一つもないロナンは、もちろん煌びやかな衣装も着ない。革命の思想に希望を抱くが、コンプレックスに流され、常に揺れ動き、出会った恋にもただ直情的になるばかりで、ひたすら不器用だ。むしろ感心するほど宝塚のヒーロー像から、この人物は遠いところにいる。けれどもだからこそ、革命の理想に立ち上がる「民衆」としてこれまで括られてきた人びとの中にも格差があり、思いの違いがあることが浮き彫りになったことは、この作品の最も輝かしい美点の一つだし、その美点を浮かび上がらせる為に、場面場面に体当たりで臨んでいる龍の功績は大きい。「叫ぶ声」「二度と消せない」「サ・イラ・モナムール」等々、大ナンバーが目白押しの作品を支えた個性的な歌いっぷりと共に、群像劇を支えていた。


もう一方の主役と言って間違いないアントワネットの愛希は、作劇が宝塚化に当たって期待した王妃の成長物語を見事に体現している。ルーレットに興じる衣装自体がスペクタクルな初登場シーンから、その衣装に負けない存在感を示し、道ならぬ恋に燃え、やがてフランス王妃としての自覚に目覚めて行く過程を堂々と演じきったのは賞賛に値する。立ち居振る舞いも高貴で美しく、衣装がよりシンプルになる後半にその気品高さが際立った。ギロチンの模型が落ちる象徴的な退場のシーン(この場の演出は実に秀逸だった)での絶唱「神様の裁き」も、公演を重ねるごとにその歌唱力を増していて、トップ娘役として飛躍的な成長を遂げている。宝塚版『1789』の成功の一翼を担った力量は高く評価されるべきだろう。

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