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ボスニア大虐殺から20年 犠牲者を追悼 NHKニュース

ボスニア・ヘルツェゴビナでは、民族間の対立が激しい内戦に発展し、東部のスレブレニツァでは、内戦末期の1995年7月、セルビア系の武装勢力イスラム系の男性およそ8000人を殺害し、第2次世界大戦後のヨーロッパで最悪の大量虐殺と言われています。
それから20年となった11日、町の集団墓地では虐殺の犠牲者の遺族や関係国の首脳ら5万人以上が参加して追悼式典が開かれ、当時、アメリカの大統領を務めていたクリントン氏が、「今も世界には民族や宗教などによる争いが絶えない」と述べ、平和の尊さを訴えました。
続いて、この1年間に新たに身元が確認された136人の名前が読み上げられた後、遺骨を納めたひつぎが埋葬されました。遺族の中には涙を流したり、力が抜けたように座り込む人もいて、会場は悲しみに包まれていました。
この虐殺では、発覚を恐れたセルビア武装勢力が遺体を別の場所に埋め直したことなどから犠牲者の捜索は難航しており、今も1000人以上の行方が分かっていません。
当時25歳だった息子の遺骨をいまも捜し続けているという女性は、「ことしこそはと希望を持っていたので、つらいです。見つかる可能性は低いのかもしれません」と落胆を隠せない様子でした。

今回のスレブレニツァの追悼式典には虐殺に関わったセルビア武装勢力を支援したとされるセルビアから首相として初めてブチッチ首相が出席しました。
しかし、ブチッチ首相が集団墓地に足を踏み入れると、一部のイスラム系の人たちが罵声を浴びせたり、次々に石やペットボトルを投げつけたりしたため、ブチッチ首相は足早に会場をあとにしました。
セルビアの首都ベオグラードに戻ったあと、会見したブチッチ首相は唇が切れたり、眼鏡が壊れたりしたことを明らかにしたうえで、「友好関係を築きたいという私の思いを理解してくれない人がいて、残念だ」と述べました。
一方、ボスニアの大統領府は今回の事件は極めて遺憾だとする声明を発表し、警察や司法当局に何が起きたのか詳しく調べるよう求めました。
今回の追悼式典への出席は、EU=ヨーロッパ連合への加盟を目指すブチッチ首相にとって民族の融和に真摯(しんし)に取り組む姿勢をアピールするねらいもあったとみられますが、逆に、民族間の対立の根深さが浮き彫りとなりました。