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木村草太氏に聞く 安保法案はなぜ批判されるのか(上)|「日本」を考える?私たちはどこへ向かうべきか|ダイヤモンド・オンライン

 大前提として、現在の国際法では、国連憲章第2条4項に「武力不行使原則」が謳われているため、原則として武力行使自体が違法とされています。例外として武力行使ができるケースは、国連憲章3つしかありません。1つは、安保理決議に基づく国連の軍事活動。たとえば、1991年の湾岸戦争時に侵略国イラクに対して武力行使が行われた際には、この枠組みが使われています。


 2つめが個別的自衛権で、外国から攻撃を受けた被害国が自ら反撃するための権利。そして3つめが集団的自衛権で、被害国の要請を受けて第三国がその国の自衛を手伝う権利です。個別的自衛権集団的自衛権は各国が独自の判断で行使できます。

 個別的自衛権集団的自衛権のうち、日本国憲法によって日本が行使できると解釈されているものは、ご存じの通り、個別的自衛権のみです。外国から集団的自衛権で日本を守ってもらうことはできるものの、日本が自ら行使できるのは個別的自衛権だけという解釈であり、安全保障に関する法律もこの考え方に準拠しています。

 現在の法律で日本が直接武力行使をできるケース「武力攻撃事態」と言われる、日本が武力攻撃を受けるか、その着手があったときに限られます。前述のように、こうした際に日本は個別的自衛権なら行使できるという解釈です。


 次に、自らが武力行使を行わない範囲で、外国の武力行使を手伝うというケースもあります。たとえば、日本と関係の深い国が戦争をしているときに、日本とその国が貿易をしていれば、日本から輸入した物資でその国は戦争を続けられます。この際、日本が直接武力行使をすると憲法違反になりますが、武力行使の一歩手前で後方支援をすることは、外国の武力行使と一体化しない範囲であれば合憲だと解釈されてきました。


 こうした後方支援を行える条件として、従来の法律の枠組みでは、日本の周辺で日本の防衛に重大な影響を与える「周辺事態」が生じた場合は、武力行使に至らない範囲で外国を後方支援できるとされていました。また、「周辺事態」以外のケースで後方支援を行う場合は、過去のイラク特措法やテロ特措法などのように、個別に特別措置法をつくる必要がありました。


 つまり、外国から武力攻撃を受けた場合は、日本は個別的自衛権によって武力行使ができる、「周辺事態」のリスクや特措法がある場合は、後方支援の形で間接的に他国の武力行使を援助できる、というのがこれまでの解釈でした。

 今回の安保関連法案で、政府が目指す新しい安全保障の骨格は、わかり易く整理すると、次の4ポイントになります。


 (1)自衛隊による在外自国民の保護業務の範囲を、これまでの「輸送業務」のみから「警護・救出」にまで拡大する。


 (2)国連PKOに参加中の自衛隊が攻撃を受けた場合の武器使用の範囲を、これまでの「防御に必要な範囲」から「現地住民や他のPKO部隊の保護・警護」にまで拡大する。


 (3)外国軍の後方支援を「周辺事態」(放置すれば日本に直接の武力攻撃が生じる事態)だけでなく、「重要影響事態」(日本の平和と安全に重要な影響を与える事態)でも行えるようにする。その場合、これまでは特別措置法をつくる必要があったが、今後は一定の条件の下で国会の承認を得れば、行使が可能となるようにする。


 (4)自衛隊の防衛出動・武力行使を、武力行使事態」(日本が武力攻撃を受けた事態)だけでなく「存立危機事態」(日本と密接な関係にある外国が武力攻撃を受け、それにより日本の存立が脅かされ、国民の生命や権利が根底から覆される明白な危険がある事態)にもできるようにする。


 (4)は集団的自衛権の行使を限定的に容認しようとするものとされていて、今回最も注目されているポイントです。

――政府がそのように安全保障の解釈を変えようとする上で、核となる法律の改正・新設にはどんなケースがありますか。


 重要なものは、主に3つとなります。1つ目は、日本自身の武力行使について、「武力攻撃事態」のみならず、「存立危機事態」についても行えるようにしようという、自衛隊法76条の改正です。


 2つ目は、周辺事態法から「周辺」という言葉を外して、日本に重要な影響を与える事態であれば、地球のどこでも外国の後方支援をできるようにしよう、という周辺事態法の改正。


 そして3つ目は、後方支援の際にいちいち特措法をつくるのではなく、日本に対する重要な影響がないときであっても、同盟国が平和支援のためにやっている後方支援をできるようにするための、「後方支援のための一般法」の制定です。

戦時における外国の支援や日本が武力行使できる範囲を拡大するための法律なので、当然ながら安保法案は「戦争法案」と言っていいと思います。

 今回出された法案の中には、緊急性の高いものはありませんでした。ならば政府は、国民の理解が得られやすいものから順番に提案していったほうがわかりやすかったと思います。


 具体的に言うと、第一に、武力行使とは関係がなく、自衛隊が活動する上で必要な訓練や予算の問題と関わってくる「在外自国民の保護業務」を議論すべきでした。次に「PKOにおける武器使用」を議論し、それに付け加えて「外国軍の後方支援」を議論する。そして最後に、集団的自衛権に関わる「自衛隊の防衛出動・武力行使」を議論する、という流れで提案するべきでした。


 これらは本来、各々の議論に一国会を費やしてもおかしくない重要なテーマ。私は、いずれの提案にも慎重ないし反対ではありますが、それらを1つずつ提案したほうが、「何を審議しているか」が国民やメディアにわかり易かったと思います。

自衛隊の解釈については、それほど複雑ではないと思っています。日本国憲法9条は、1項で「国際紛争の解決のための武力行使」を禁止しており、2項で「戦力の不保持」を謳っている。一項はともかく、二項で「戦力を持てない」と言っている以上、9条全体で軍隊や武力行使を禁じているというのが、一般的な解釈でしょう。


 ただし、一般原則が禁止していても、例外を認める規定があれば違法になりません。たとえば、人を殴ることは刑法で禁止されていますが、正当防衛の場合は例外として許されると定められている。憲法学者には、自衛隊による武力行使を例外的に認める規定は憲法の条文に存在しないと考える人も多いですが、政府や自衛隊合憲説に立つ人たちは、憲法13条が例外を基礎づける根拠になると考えて来ました。


憲法13条は、国民が生命、自由、幸福を追求する権利を保護する義務を、政府に課している。その義務を果たすために、自衛隊が個別的自衛権を行使することは、例外として許されるという解釈です。私はこの解釈は、解釈として十分に成り立ち得ると思っています。

――では、集団的自衛権の行使についてはどう考えたらいいでしょうか。


 外国防衛を日本政府に義務付けた規定は、憲法には存在しないと明確に言えます。また、日本国憲法は軍事権を政府に与えていません。73条に内閣の権限が示されていますが、行政権と外交権は付与されているものの、軍事権は与えられていないのです。これは9条の2項で「戦力を持ってはいけない」と規定されているのでその帰結です。

木村草太氏に聞く 安保法案はなぜ批判されるのか(下)|「日本」を考える?私たちはどこへ向かうべきか|ダイヤモンド・オンライン

行政は国の主権を行使して国内の統治を行う作用のこと、外交は外国の主権を尊重して対等の立場で付き合う作用のこと、そして軍事は外国の主権を制圧するために行う作用のことで、これは武力行使を意味します。多くの国の政府は、行政、外交、軍事の3つの権限を持っています。憲法に誰が軍事権の責任者かが示され、軍事権を行使する場合の手続きも示されています。日本にはそうした規定が一切なく、軍事権を排除しているのは明らかです。


 もっとも自衛隊の活動のうち、個別的自衛権の行使を伴う防衛行政は内政の1つ、また外国の後方支援やPKOへの協力は、武力行使に至らない範囲であれば外交協力の1つ、と捉えることができます。すなわち、この2つは解釈によって合憲と言えます。それに対して、集団的自衛権は、外国の防衛に協力する義務を定める根拠条文がない上に、軍事権が政府に与えられていないので、違憲と考えざるを得ません。これまでは、こうした解釈が行われて来ました。

 個別的自衛権の行使が合憲か否かは、いずれも解釈の範囲内としてあり得るでしょうが、集団的自衛権の行使を合憲とする解釈は不可能だと思います。ただ、議論を混乱させているのは、集団的自衛権と個別的自衛権の行使とが重なる場合があるのではないかという点です。


 日本と外国が同時に攻撃を受ける場合、たとえば、日本が武力攻撃を受けており、同盟国の米国が集団的自衛権を行使して日本を守ってくれるというケースを考えてみます。その場合に、日本の防衛に協力してくれている外国の軍隊が攻撃されたら、それは日本への攻撃に当たりますから、日本が武力行使をしたとしても、それは個別的自衛権の行使であると言えます。


 しかし一方で、この場合は外国も攻撃を受けているので、日本が武力を使えばそれは集団的自衛権の行使になるとも言える。このように、個別的自衛権でも集団的自衛権でも説明できるケースでは、武力行使をしても違憲ではないという立場に私は立っています。もっともこの点は、従来からの解釈の結論を確認したものに過ぎませんが。

 確かに、外国の後方支援については、いつ一緒に武力行使をせざるを得ない状況になるか、わかりません。これまではそうしたリスクに鑑み、後方支援は非戦闘地域でなくてはいけない、外国の軍隊に弾薬を提供してはいけない、戦闘行為のために発進する戦闘機に給油をしてはいけない、といった色々な制約を設けていました。


 その考え方は、駅のホームの黄色い線と似ています。実際にはもう少し先に出ても電車には当たらないが、危ないのでバッファをとり、黄色い線のかなり手前で電車を持っている、というイメージです。しかるに今回の改正案は、現に戦闘が行われていない地域であれば、弾薬の提供なども行うというもので、いわば黄色い線の内側にいて電車に当たりさえしなければいいというギリギリのレベルまで、後方支援を認めようというものです。


 実際に安保法案が成立し、現場で運用された場合、日本は憲法違反にあたる集団的自衛権の行使をやらざるを得ない可能性が、極めて高くなるかもしれません。

 それはそうですね。実際に集団的自衛権が行使された例は、世界を見回しても、これまでそれほど多くありません。代表的な例はベトナム戦争です。湾岸戦争も国連決議が出るまでは、集団的自衛権でやっていました。2000年代以降はアフガニスタンとの戦闘に参加した英国の例がありますが、これは集団的自衛権で正当化できるかどうか怪しいと言われています。集団的自衛権の要件が満たされるケースは、実際にはあまりないのが実情です。


 ただ、現在つくっている法案は、将来の内閣や裁判所によって、いつ違憲無効と宣言されてもおかしくないものです。最悪の場合、自衛隊の派遣中に違憲判決が出るかもしれない。これは、あまりに不安定です。


 さらに、武力行使や後方支援は、国会承認など事前手続きも重要ですが、事後的な検証も非常に重要です。イラク戦争では、武力行使の根拠となった大量破壊兵器が最後まで見つからなかった。にもかかわらず日本では、なぜ大量破壊兵器があると判断してしまったのかという検証や、その戦争を支持してしまったことに対する責任の追及が、十分になされなかった。


 今回の法案では、事後的な検証・責任追及手続きが不十分と思います。このままでは、無責任な派遣が行われてしまう危険があります。

 その通りです。今回安倍首相は、根本的なところで問題提起の仕方を誤ったと思います。


 まず、先ほど述べたように、多様な法案を一括審議して、提案の内容を分かりにくくしてしまったことが、問題です。また、武力行使を支援する法案なのに、自衛隊のリスクは増えないとか、戦争法案ではないとか、内容をごまかそうとする説明が多かった。これはあまりに不誠実な態度です。さらに、きちんと憲法改正の手続きを踏もうとしなかったことは、それ以上に問題でした。


 安倍政権は、憲法9条の改正に自信を持っていないように見えます。集団的自衛権の行使を容認することが目的ならば、「困った国がいるときは助けてあげる国になろう」といった理念を示し、憲法改正を国民に提案するのが当然の手続きです。にもかかわらず、9条改正や軍事権の創設の提案をしなかった。憲法改正には、野党を含めた広範な合意と、国民投票の承認が必要です。自民党は、それらを得る自信がなかったのでしょう。


 確かに、国際貢献のために集団安全保障に参加したり、集団的自衛権を行使したりするのは、先進国の責任であるという議論はありう得るでしょう。


 しかし、国際貢献の方法は、武力行使だけではありません。難民の受け入れや復興支援も重要です。しかも、武力行使に参加して紛争の当事者になると、それらの貢献をやりにくくなる。日本のように、武力行使に参加しないことを宣言して、中立的に国際貢献できる大国が存在することは、国際社会にとっても決して悪いことではないはずです。


改憲手続きが成立しないということは、要するに、その内容に国民の支持がないということです。憲法論を無視した政策論は、国民を無視した政策論だということを自覚すべきでしょう。

――以前、自民党の「憲法改正草案」が出たときに不安が募ったのも、大きな理念よりも各論から入ってしまったことに、課題があったように感じます。


 そうですね。条文をいきなりつくって公表してしまったことに、無理がありました。通常、憲法改正の草案をつくる際に、いきなり条文をつくることはまずありません。「日本をこういう国にしたい」といった大きな方向性や原理原則の議論があって、それを盛り込んだ要綱がまず提案され、それについて議論が深まったところで初めて条文づくりに入るというのが、本来の起草作業。自民党草案の作成プロセスの背景には、大きな理念などどうでもいいから、とにかく条文を変えたいという本末転倒な考えがあるように思います。

――これから参院での審議が始まりますが、日本中を巻き込んだ安保法制の議論は、いつ決着がつくのでしょうか。


 私は、安保法制に関する議論は出尽くしたと見ています。今回の論点は第一に、安保法制が違憲かどうかということです。これについては、憲法学者のほとんどが違憲だとしており、世論調査を見ても過半数の国民が違憲だと思っています。よって、「安保法制は違憲」ということで決着がつきました。


 第二に、安保法制が政策的に必要か否かという論点ですが、今国会で法案を成立させる必要があると考える国民は世論調査で極めて少数派であることに加え、安保法制自体に反対の人が多数派となっています。つまり政策的にも、「安保法制は不必要」ということで決着がついています。


 この2つの結果を見る限り、今回の安保法案は採決によって否決されなければいけないものだと私は思います。この憲法違反であり国民の支持を得られない法案を衆院強行採決した政権をどう評価するかは、これから議論が始まることだと思います。これはまだ結論が出ていません。

――そもそも、世の中の憲法学者のほとんどが反対したという現実は大きいですね。


集団的自衛権について問われれば、プロの憲法学者ならば、これまで私が述べた通り、「9条違反である」「9条の例外として説明できない」「政府に軍事権は認められていない」といったいずれかの理由で、反対するでしょう。憲法学者の立場から言えば、結論はとっくに出ているのです。


 一方、数少ない賛成派の憲法学者の論法には、反対説について検証していない、あるいは検証が不十分であるという傾向が見られます。よって、そうした賛成派の論に根差して政府が合憲説を主張しても、反対派が大多数となり、答弁が維持できないことは、ある意味当然です。