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孫文と博多 - 西日本シティ銀行

日本に亡命した孫文を支援したのは玄洋社宮崎滔天、犬養 毅、一部の炭鉱経営者と、限られた人たちでした。
今回は大違いで、宿舎は帝国ホテルで、博多まで特別列車。主要駅では万歳三唱で迎えられ、市長が表敬挨拶して歓待です。

世間は歓迎一色でしたが、玄洋社は平常とすこしも変わらない。福岡日日を見てみましょう。
「素朴なる冷(ひや)畳の上、座布団(ざぶとん)なく、卓子(テーブル)なく極(きわ)めて簡素なる酒茶の饗(あえ)ありしのみなるが、玄洋社式の飾(かざ)らず、繕(つくろ)はざる待遇振(ぶ)りは却(かえっ)て孫氏の悦に入りしが如(ごと)く、勤倹寡黙の孫氏も少(すくな)からず微笑を湛(たた)へつゝ、一同打寛(うちくつろ)ぎて談笑せり、…」と。

真情を尽くした歓迎会の妙味が汲(く)みとれますね。

真似(まね)ができない。古武士の風韻(ふういん)を感じますね。

「天下の愕愕(がくがく)は君(くん)が一撃に若(し)かず」が、頭山満の来島への弔辞でしたね。騒然の中に微動だにせず、動くべきときあればその機を逸せず、一撃をもって天下の大勢を一変させる。
義のためにはなにをするかわからないと、玄洋社の隠然たるパワーを見せつけた結果にもなったでしょう。

そうですね。でも、一方に玄洋社は、多彩な人たちの集団でした。
辛亥革命が成功して、福岡出身の東大教授の寺尾 亨は、盟友の頭山満とともに、孫文に中国へ招かれます。
それで、国際法の権威の寺尾が、憲法の草案を提示するのです。東大教授の身分でそういうことはできないから、辞職して新中国の門出に尽くしています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150811#1439289585
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「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(1)その全体的な真実を当時の新聞、資料のままで紹介する。 | 前坂俊之オフィシャルウェブサイト
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