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6号:日米仏の思考表現スタイルを比較する

 子どもたちが授業で実際に書いた作文を日米で比較してみると、興味深いことが分かります。日本の教師は、意識する、しないにかかわらず、結果的に「綴り方」の伝統に則って、「自由に、思ったままを書けばいいんだよ」と励まして子どもに作文を書かせます。しかし、でき上がった作文は、どれも驚くほど似通っています。その一方で、一見自由な印象を受けるアメリカの小学校では、実は厳しい文章の「型」の訓練と、技術的指導や添削が行われます。その結果として生み出されるのは、各自が書く目的に応じて様式を選び、そこに個別の意見が主張され、ときにはさまざまな様式を組み合わせる多様な作文です。
 ここには、「自由」を重視している方が結果的に「規範」にとらわれ、「規範」を重視している方が結果的に「自由」な多様性を生む、というパラドックスが見られます。型を知らずに「自由に書け」といわれても、いったい「何から」自由になればよいのか分かりません。その結果、「起こったことをありのまま書いて時系列で気持ちの変化をたどる」という書き方が逆説的に唯一の型になってしまうのです。
 PISAのテストの結果、日本の子どもは読解力で劣るといわれていますが、論証や文章の様式を問う自由記述問題に答えられないということは、「読み方」の問題ではなく、国語の授業でさまざまな様式の「書き方」を教えられていないからです。つまり、読み取った情報をどう書き表してよいかが分からないのです。
 一方アメリカでは、いくらユニークな意見や面白いアイディアを持っていても、それを他人と共有できる「型」に入れて、つまりコミュニケーションできる形にして提示できなければ、その価値は無に等しいと考えられています。だからこそ、小論文を書くことで「主張」の様式を学び、創作文を書くことで「語り」の様式を学ぶのです。

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