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大平元首相:「鈍牛」のすすめ 若き日、後輩に助言の手紙 - 毎日新聞

 はがきや手紙は、旧制三豊中(現観音寺第一高)の後輩で香川県紀伊村(現観音寺市)にいた安藤正さん(故人)らに宛てたもの。安藤家で見つかり、消印から1932〜34年ごろに書かれたとみられる。安藤家の近くには大平元首相の姉が嫁いでいた。安藤さんの三男学さん(66)によると、安藤さんは生前、大平元首相に勉強を教わったことがあると話していた。


 大平元首相ははがきで、「量よりも質に。十回の素読よりも一回の精読と味解が望ましい」などと奮起を促していた。屋島高松市)とみられるイラストを描いたものもあった。元首相は旧制三豊中時代に父と死別。32年には高松高等商業学校(現香川大経済学部)を卒業し、大阪の化粧品会社に入社した。翌33年に奨学金を得て東京商科大学(現一橋大)に進んだ。


 「三角大福」(三木武夫田中角栄、大平、福田赳夫の各氏)の争いが続いた首相在任時は、自民党内の造反で内閣不信任決議案が可決される波乱に見舞われた。一方、通産相時代、「八幡・富士製鉄合併」(1970年)が難航した際には、「とことん議論するのが自由主義の原則」と話したとされる。また、外相として日韓や日中の関係進展に尽力した。演説などで「あー」「うー」と前置きしたため鈍重な印象を与えたが、熟考を重ねる合理的人物との評価もある。


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