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元特捜エースがひっそりと死去していた (ニュースソクラ) - Yahoo!ニュース

 2002年には公正取引員会に出向し、ゼネコン汚職や佐川急便事件など特捜検察のメーンストリームでる政界汚職に力を発揮すると期待された。04年には特捜部副部長に就き、06年のライブドア事件では事件の陣頭指揮にあたったが、北島氏は「堀江みたいなやつが自民党を振り回したら大変だ。とにかくあいつみたいなのを懲らしめないとダメだ」と漏らしていたといい、05年暮れから本格的な内定の指揮をとっていた。しかし06年1月に強制捜査が始まって間もなくして捜査から外れ、捜査の渦中の同年3月に突如退官した。


 当時は大鶴基成特捜部長との不仲説など様々な憶測が広がった。北島氏に代表される汚職摘発型の検事に対して、大鶴、佐久間達哉(後に特捜部長)、斎藤隆博(現特捜部長)ら金融・証券犯罪を暴く「市場検察」派がこのころ台頭し、それとの対立というのも、そうした見方の一つだった。


 しかし、その真相はむしろ北島氏の「酒癖」にあったようだ。「まだ日の明るいうちから庁内で飲み始めていた。午後4時ぐらいの段階で呂律が回らなかった。アル中に近かった」と同氏を取材したことのあるベテラン記者は言う。


 検察エースとして重用され日の当たるコースを歩んできたうえ、取り巻きの各社社会部の編集委員クラスのベテラン検察担当記者たちが金丸事件の功績をもてはやすものだから、本人の増長ぶりもすさまじかった。「若いころに金丸を追い落した成功体験が強烈なせいで、『俺が正義だ、俺が日本を動かしている』と非常に万能感の強い人だった」(同)。そんなさなかにおきたのが、社会部司法記者クラブの女性記者への悪質なセクシャルハラスメント事件だった。「夜回りに来た女性記者に酔っぱらった北島さんが、かなり破廉恥なふるまいをした。彼女が属する報道機関を通じて抗議したことで検察庁としても外さざるを得なくなった」(社会部司法クラブキャップ)。


 退官後は北島氏の後見人的存在の熊崎氏の法律事務所に世話になったりしたが、もとから弁護士向きではなかったようだ。「弁護士としては腕が立つとは思えない」と親交のあるベンチャー企業家は言う。酒は控えていたというが「飲み始めると溺れるように飲む。夜の打ち合わせの際にはそうならないように途中で帰ったりしていた」(同企業家)。

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