吉川英治の小説「宮本武蔵」に登場する佐々木小次郎については謎が多い。吉川英治は武蔵についての正伝は漢文なら、わずかな行数にしかならないと言っている。
氏がそもそも朝日新聞に小説「宮本武蔵」を連載開始するに当たり、新聞社内では大反対があったと言う。理由は講談本に伝わる武蔵のイメージからだ。つまり、妖怪退治等、荒唐無稽なストーリーである。
講談ばなしや浪花節を天下の朝日新聞でやるのは止めてくれと言うことだ。そのため吉川英治担当の編集者はずいぶんとパワーハラスメントの対象となったらしい。しかも、吉川英治の「完全主義」のため原稿の遅延も半端ではなかったという。
いつ原稿が落ちるかとハラハラしどうしで社内幹部から編集部、印刷所に至るまで吉川英治バッシングは続いたそうだ。
肝心のストーリーだが武蔵(むさし)が武蔵(たけぞう)のまんま、何時まで経っても変わらない。関が原参戦のあたりから親友の本位伝又八(ほんいでんまたはち)と明日の見えない自堕落な生活が続く。担当者の泣きが入ったのがこの頃だったらしい。
さて、唐突だが巌流・佐々木小次郎のモデルは同時代の大衆作家・直木三十五である。直木三十五、菊池寛、吉川英治については「宮本武蔵」論争と言うものが存在する。三人は旧知で仲の良い小説家仲間であったが、かなり感情的に何回も議論している。ラジオ、新聞、雑誌を使っての大論争だったようだ。
三者の中で一番論説過激であったのは直木三十五であった。菊池寛はこの論争を途中下車した。直木は論争半ばで他界した。吉川英治は直木に吹っかけられた論争の最終回答を小説宮本武蔵で出した。
その際、武蔵の好敵手・佐々木小次郎のイメージに直木の面影を被せた。論争を途中下車した菊池寛は小説には書かずに自分の会社で直木賞を制定した。文芸春秋社はこの時、あわせて社主のもう一人の親友・芥川龍之介の名を惜しんで芥川賞を設けた。
吉川英治は歴史家顔負けの取材主義、検証主義の小説家である。その吉川がどれほど調べても佐々木小次郎の実像は浮かんで来ない。武蔵の真の史実が漢文数行と吉川自身が言うよりさらに謎に包まれた巌流・佐々木小次郎。
武蔵の真実を知ることによって佐々木小次郎の正体もさらに明らかになる。
ことの発端は、昭和7年10月、菊池寛が「先日 直木三十五が、ラジオで宮本武蔵をケナした。自分は宮本武蔵の崇拝者として一言、弁じておく」と文芸春秋の「話の屑篭」に書いたことから起った。
これに対してさらに直木から反論があり、両者の論争は文壇の大事件にまで発展した。吉川は、途中ひょんなことからこの論争に参加し直木に反対して武蔵擁護に回ったところ「吉川武蔵」の執筆をせざるをえない立場に追い込まれてしまったというのだから話は面白い。
厳しい資料の制約の中で吉川英治はどうやって「宮本武蔵」を大成功させ得たのか。
これは、大衆小説の天才、吉川英治の構想力・想像力の所産というほかはないであろう。
「童心残筆」という書物のあとがきに新井正明氏のこのような記述がある。
この本の出版祝いに際して、吉川英治はある書簡にこう書いている。
「赤坂の桔梗と申す家の炉部屋を借り申し候て客をいたし候、当夜の客は金雉学院の安岡正篤氏、元東京府知事…、酌人は牡丹の花と申しても劣りなき赤坂の美妓に候、丹炎誠に美しく、微薫ある煙も、牡丹なる故にや苦になり申さず候、安岡氏の言葉にて暫く灯火を滅し、炉明かりのみにて暫時を雑談に忘れ申し候。…」
いずれにせよ、日本の戦前・戦中・戦後をつうじて代表的な精神的指導者であった
「中村天風」師が「鞍馬天狗」、「安岡正篤」師が「宮本武蔵」というヒーローのモデルだったとは、二大哲人が急に身近に感ぜられて実に愉快なことではないだろうか。
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かつて、宮本武蔵が吉岡一門に追われ、
祇園芸者の吉野太夫にかくまわれている時のこと。
少しの物音に剣を構える武蔵に太夫は
三味線を聞かせ、
「いつも張り詰めた弦では三味線はいい音が出ない
緩んでるからこそ、張ったときにいい音が出る。
そんなに張り詰めていてはだめ」と諭しました。
15 私の読書歴 (7) 04.11.07 吉川 「武蔵 」
今回読み返してみて別の一面を強く感じています。小説では、本阿弥光悦との出会いがあり、交流を深めるシーンがありますが、分野は違っても一芸に秀でた者同士には何かあい惹かれるものがあるのでしょう。また光悦に誘われ灰屋紹由とともに、絢爛たる郭に遊ぶシーンがあります。
教養、識見など当時一流の人物であったといわれた「吉野太夫」が、追われる武蔵を匿い、琵琶の「張り詰めた弦」をたとえに、遊びがない(武蔵が)ことを諭す場面がありますが、太夫を絡ませて描かれていた事など記憶になかったことです。ヒロインお通との恋も今読んでみてプラトニックゆえに胸をうつものがあります。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。能能吟味有るべきもの也」・・・私は読んでませんが、宮本武蔵の「五輪書」の一節だそうです。
私は、武蔵が京の吉野太夫の屋敷に招かれて、しばらく滞在する箇所が好きだ。
太夫に琵琶をたとえに、武蔵が張り詰めた弦のような生きる姿勢をたしなめられるくだりだ。
琵琶をたたきわって、内部を見せて、琵琶にはたわみがある。
そのたわみが幽玄の音色をかもし出す、というような内容だったように思う。
流祖吉村岳城師-Ⅱ - [琵琶]千葉県琵琶楽連盟のブログ - Yahoo!ブログ
細谷喜一氏著(茶の湯の人々)所載の一節にある、吉川英治氏著(宮本武蔵)の中の、武蔵と吉野太夫の問答、
琵琶を割る条りは、かって故師宅で、安岡正篤先生他数氏と満州国の賓客を迎えた席上、時局柄談偶々人間の腹を作る問題に言及した時、突然愛器を斧で割り、複雑な音色を出す琵琶も割って見れば斯くの通り中は空である。
それだからこそよい音色がでるのであって、なまじおかしなものが腹に入って居ない方がよいものだと説明して居る所へ、遅れて訪れた吉川英治氏はそれを聴いて、其の日はそのまま帰られたが、数日後同氏から電話で、岳城さん先夜の琵琶の話は貰ったよとの事でした。それが吉野太夫の琵琶の心の問答となったものです。
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