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明治の神戸港が横浜港を破って「日本一」になれた理由 民間主導の殖産興業政策に地域活性化のヒントを学ぶ|歴史に学ぶ「日本リバイバル」 松元崇(元内閣府事務次官、第一生命経済研究所特別顧問)|ダイヤモンド・オンライン

大久保利通亡き後の殖産興業政策を立案した人として忘れてならないのが、前田正名という人物。筆者が近代の財政史を研究する中で、人物に関して最も調べたのは高橋是清だが、その高橋が生涯尊敬していた人物である。


農商務省、今日でいえば経産省農水省が一緒になった役所の次官にまでなった人だが、この人が明治17年に「興行意見(未定稿)」という意見書を取りまとめている。それは、江戸の各藩の政策から、西欧の産業政策までを詳しく調べて、日本全国各地の実情に応じた地方主体の殖産興業政策を実施すべしとしていた。未定稿に終わったが、高橋是清は昭和になっても、「あれが実行されていれば、日本はもっと発展したはずなのに」と残念がっていたというものである。


福沢諭吉、渋沢英一といった、当時のオピニオン・リーダーも、そのような民間主導の殖産興業政策を強力に支持していた。この点は前回にも触れたが、福沢や渋沢は、今日その多くが公的に行われている街路事業、ガス事業、交通、電気事業といった都市基盤整備事業も、本来民営であるべきだと主張していた。


 そんな中で、政府は紡績業などの先端分野についてこそ、当初は国を挙げて手がけたが、しばらくすると電信などの分野を残して、民間に払い下げている。明治17年以降、松方正義が本格的に進めた官営事業の払下げである。


 そのように、地域の自助努力を基本とするのが、明治期の地域活性化であった。

 最近、地域活性化のためにはどうしたらいいのだろうかということが、よく議論される。それには、明治維新期に福沢諭吉が主張していたような、民間活力に基づく殖産興業政策を原点に据えることが大事だと思う。経済成長に何が必要かという問いに対するケインズの答えは、アニマルスピリット(企業家精神)の発揮というものであった。両者には通じるものがある。筆者は、そのような伝統をわが国は持っていると思っている。そのへんは、拙著『リスク・オン経済の衝撃』で述べているので、関心がある方には、ご一読をお勧めしたい。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151117#1447756621
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151007#1444214257
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151005#1444042624
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